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伊能忠敬『測量日記』

八月十五日
(忠敬の隊)
 曇天。六っ後(午前6時過ぎ)に神ノ浦村(長崎市神浦江川町)を出立した。

 大村領神ノ浦村。佐嘉と大村領の入会(双方の土地がいりまじりっているさま)で黒崎村の界、字赤首崎の印より初めて、沿海を順に測る。右二町(218m)ばかり沖のオラビ瀬は周囲三十間(55m)ばかり。佐嘉領で野陣で小休止。

 佐嘉領黒崎村枝賎津。大村領黒崎村枝出津。出津川尻は巾六間
(11m)ばかり。小城崎(小城鼻)。大城崎(大城鼻。現在、県立大城公園がある)。佐嘉領黒崎本村で昼休み。

 大村領黒崎村枝永田
(長崎市永田町)。左に天満宮社(天満神社)。仏崎。佐嘉領と大村領の入会の三重村(長崎市三重町)。大村領で野陣で小休止。

 青瀬崎。佐嘉領三重村枝樫山
(長崎市樫山町)。三重崎。大岳(御岳)の下、先手初めの印に繋げる。

 沿海総測二里二十三町四十間二尺(10,436.97m)

 それより乗船して大村領三重村へ八っ半時頃(午後3時頃)に着く。

 本陣は庄屋吉田左内、別宿池田順蔵。此の夜、大村領福田村庄屋佐々木代右衛門が
(挨拶に)来る。

(手分け)
 曇り。雪ノ浦を出立した。乗船して海上を三里程(約12q)

 佐嘉領黒崎村と大村領三重村の界、字大岳の下。の印より初めて、左山の方に沿海を測る。三重村の止宿前迄、一十四町四十八間(1,614.55m)。これより本手は測所へ打ち上がり、三十間(54.55m)。オンタイ川尻(三重川)は巾三十間(54.55m)。セビ崎で測遠の幟に繋げる。、三十七間三尺(68.18m)。舞ノ浜。三重村持ち京泊浦。刈平村(畝刈・多以良町)。亀甲島は一周一町(109.09m)ばかり。平川尻(多以良川)は巾四十五間(81.82m)で水の中は狭い。ウブメ崎。障子岩。式見村の内、螺崎。測遠の幟印に繋げて、二里一十二町二十一間(9,201.82m)

 沿海合計二里二十七町九間(10,816.36m)。外物一町七間三尺(122.73m)。惣測二里二十八町十六間三尺(10,939.09m)

 七っ時(午後4時)に式見村(長崎市式見町)に着く。止宿は庄屋の熊野牧太宅。


背景の地図は、国土地理院長の承認を得て、同院発行の2万5千分の1地形図を複製したものです。
※国土地理院承認番号 平14総複、第253号 平成14年10月9日

奥より三重崎・螺崎・神楽島 (写真1)

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