13号棟

 最終の13号棟 : 昭和42(1967) 鉄筋コンクリート造4階 公営住宅(教職員用)
*本HPの写真・図版等の転載・転用等を固く禁止します。

〔 先 代 ? 〕

写真《長崎港外三菱端島炭坑五階屋社宅》
  <昔の絵葉書より 提供受絵葉書>

 大正初期の光景と思われる絵葉書です。絵葉書中段右端の建物が先代と思われる13号棟です。


写真絵葉書《長崎港外三菱端島炭坑五階屋社宅》の部分拡大
  <昔の絵葉書より 提供受絵葉書>

 上段の絵葉書から抜き出した光景ですが、石積に載った二階建ての木造住宅が先代と思われる13号棟の姿です。
 その頃は炭坑の職員社宅で、岩ノ下と呼ばれていたそうです。ちなみに、途中で建て替わっていなければこの建物が昭和40年代初めまであったことになりますが、私にも木造13号棟の記憶が若干ですが残っています。


〔 最 終 〕

写真
<写真は島の先輩より>
 21号棟と22号棟の間から臨む13号棟の姿ですが、最終の13号棟は、端島で建築された最後のRCアパートです。
 かなり曖昧な記憶ですので、思い違いの節はご容赦願いますが、建築時には48号棟と護岸の間を建築資材置き場にしていて、砂の置き場では、子ども達が護岸の上から砂山に飛び降りて遊んでいました。また、公民館前でコンクリートを練って、13号棟の建築現場までは、21号棟と22号棟の間にワイヤーロープを張り空中搬送していたような思いがあります。ただ、下の方の起点が公民館前か21号棟と22号棟の間のどちらかであったかは忘れてしまいました。

写真<左写真は、長崎市高島町にある「端島模型」より>
 最終の13号棟が完成し、役場があった22号棟に居住していた方々が13号棟に引っ越す際ですが、小物などは、22号棟のベランダから13号棟横の12号棟人工地盤下の通路まで紐を張り、紐にぶら下げた籠を往復させて運んでいた方もいらっしゃいました。
 また、最終の13号棟海側の14号棟寄りには少し広い場所があって、ボール遊びなどを行うこともありましたが、時々、ボールが広場のフェンスを越えて、13号棟が載っている石積と隣接する21号棟の間に落ち、下までボールを取りに行っていた記憶も残っています。


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