56号棟
最終の56号棟 : 昭和14(1939) 鉄筋コンクリート造3階 職員社宅
*本HPの写真・図版等の転載・転用・ダウンロード・直リンク等を固く禁止します。
<先代?>
《高島炭坑(Takashima Colierry) 端島(Hashima)》 <管理人所有絵葉書> より拡大
神社右下の閉山時に56号棟があった場所には、閉山時の建物と違って、木造と思われる建物がありますが、その用途については
こちら もご覧ください。
<最終>
| <所蔵: 九州大学 記録資料館(長崎新聞社寄託)> |
神社の下の建物が56号棟で、その右下の建物が57号棟です。
56・57号棟の壁面には、迷彩塗装が見受けられますが、先輩に寄りますと色は黒だったそうです。ちなみに、56号棟は宮ノ下A(又は上)社宅とも呼ばれていたそうで、<阿久井喜孝 他、『軍艦島実測調査資料集【追補版】』、東京電機大学出版局、2005(第1版1984)、555頁>に掲載の「図版7-31」にも56号棟(A社宅)の記載があります。
また、50段の手摺りがまだ木製で、日給屋上には閉山時にはなかった平屋の建物が存在しています。
<最終>
《体操の時間》
| <出典: 主婦の友・3月号((株)主婦の友社・昭和31年3月1日発行)> |
左上の隅に写る低い煙突の姿から56号棟屋上の光景のようで、右上の先にある建物は65号棟の病院側部分(まだ、新65号棟は建っていないとき)が見えていますが、屋上には、閉山の頃にはなかった平屋の存在しているようです。
写真の説明には、「島には中学まであるが、充分なグランドがない。屋上で、海風に吹きつさらされながら体操だ。」とあります。昭和31年といえば、最終となる
端島小中学校校舎の工事中の時期と重なり、ただでさえ狭かったグランドが、益々、狭くなっていた時期ではないかと思います。
〔 閉山後の光景 〕
<2004年>
端島神社の直ぐ右に、山から少しだけ顔を出している建物が56号棟です。