57号棟

 最終の57号棟 : 昭和14(1939) 鉄筋コンクリート造4階 職員社宅
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 階下部分がピロティ商店(実際はメイン道路に面している)で、2軒商店が並んでいました。その上が職員社宅で階数は社宅部分のみ数えています。ちなみに、57号棟は宮ノ下B(又は下)社宅とも呼ばれていたようです。


写真
<先代>
《長崎港外端島名勝 十二階》  <所有絵葉書>
 日給を北側から望む光景ですが、57号棟が有った部分には木造2階建てらしき建物が見えます。また、閉山時の59・60号棟部分は平地となっています。

写真<最終>
<出典:「寫眞週報」178号(昭和16年7月23日発行)>
 閉山時の59号棟がある場所には、まだ木造の建物が建っています。
 また、宮ノ下の階段の手すりは、閉山の頃のコンクリート製ではなく木製のようです。
 なお、宮ノ下の階段の上部に配管が見えていますが、何の配管でしょうか?。確か閉山の頃にはなかった配管かと思います。


写真
<村里 榮 氏撮影>
 たぶん、たぶんですが、57号棟の通路部分で、右側の建物は16号棟になるかと思います。なお、階段を降りた先に、畳職人の方の姿が覗えないでしょうか?。

写真
<長崎県立長崎図書館所蔵の『高島町端島(軍艦島)昭和49年』から許可を頂き掲載>
 57号棟正面(海側)の通路レベル?には商店が2件ありました。なお、この写真の場所ですが、○○店か、△△店かは断定できません。もしかしたら、両店の境目位でしょうか?。


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