伊能忠敬『測量日記』 八月十三日 (本隊) 晴天。六っ後(午前6時過ぎ)に松島を出立した。 同所の止宿前の測所の西の印より初めて、左山の方に沿海を測る。船入崎の舟の印迄、沿海四町二十間(472.73m)。 此より五郎島(五郎ヶ島)へ渡る。瀬戸巾は一町三十一間三尺(166.36m)。五郎島は一周三町二十三間三尺(370m)。 又、舟の印より初めて、沿海を測る。野崎枝釜ノ浦。家数は百五十軒。湊の深さは十八尋。千石内外の船を五十艘ほど継がずに係留できるという。釜の印迄、沿海十六町五十間(1,836.36m)。此より山越えして横切り、向かいの海辺の字阿漕ヶ浦へ出て、アの印を残す。横切り一町十九間二尺五寸(144.39m)。又、釜の印より初めて、沿海を測る。小島(ナガ瀬)は一周一町余り(109.09m余り)。城ノ鼻。竹ヶ浦。入江を片測、横に一町三間(114.55m)。大和田浦。丸小島鼻。阿漕ヶ浦の入江口迄、沿海十一町四十七間(1,285.45m)。繋げて三間三尺(6.36m)。入江の片測一町十八間(141.82m)。即ち、横切りのアの印に繋げる。又、ハブノ浦(タブノ浦)のハの印迄、沿海一町五十七間(212.73m)。 此より山越えして横切り、向かいの海辺の字小鰯場に出て、小の印を残す。横切り一町九間(125.45m)。又、ハの印より初めて、沿海を測る。左の長瀬は二町(約218m)ばかりで瀬続き。巾はない。舟中で昼休み。箕崎。小鰯場。横切りの小の印迄、沿海七町三十三間二尺五寸(824.39m)。焼山崎。大鰯場。落石崎の昨日の打ち止めに繋げて終る。 沿海十五町五十八間三尺(1,742.73m)。沿海合計一里二十二町二十六間二尺五寸(6,375.30m)。入江の片測二町二十一間(256.36m)。総測一里三十二町十三間五尺(7,443.33m)。島の測量三町二十三間三尺(370m)。横の合計四町二間五尺五寸(441.67m)。松島は一周三里二十三町四十間五寸(14,363.79m)。 それより乗船して八っ時(午後2時)に神ノ浦村(長崎市外海町神浦)へ着く。止宿は本陣が庄屋の一ノ瀬伊太夫宅、別宿が朝長清兵衛宅。此の夜は星を測る。 八月十三日 (手分け) 晴天。瀬戸村に逗留して測る。同所より乗船した。一里半ばかり(約6q)で、彼杵郡大村領多井良村(多比良内郷)高穂崎(高帆崎)に十一日の本手の打ち止めより初めて、左山の方に沿海を測る。 白瀬鼻。ウバケ島(バクハエ)は遠測して周囲一町半ばかり(約163m)。二っ小島は遠測して周囲一町半(約163m)ばかり。出口浦。エギリ鼻(江切鼻)。長尾鼻。河内浦。銭亀崎に十一日に先手が初めた井の印に繋げる。沿海一里四町五十六間一尺(4,465.76m)。 多井良(多比良)村鴨崎の測遠の旗の良の印より初めて、左山の方に沿海を測る。瀬戸村。小鴨崎瀬戸に白の印を残す迄、十一町二十五間一尺(1,245.76m)。此より満切りの小鴨崎(鎌崎)を回る。一周は十町(1,090.91m)で即ち島。親島(親ヶ島)は周囲三四十間(約60m)ばかり。石火矢谷浦。瀬戸村枝板ノ浦(板浦郷)に十の印を残す迄、沿海十一町二十七間(1,249.09m)。 小島へ渡り、十文字に引く。小島は一周三町十七間四尺(359.39m)。沖小島は周囲四五十間(約80m)。弥五郎浦。白瀬鼻。源太鼻の測遠の幟に繋げて二十間五尺(37.88m)。瀬戸本村の人家限り。宮ノ崎(瀬戸樫浦郷)。十一日の初めの福島へ渡る宮の印に繋げて終る。十九町三十三間五尺(2,134.24m)。沿海合計一里六町二十六間(4,629.09m)。沿海二っの合計二里十一町二十二間一尺(9,094.85m)。島の測量は二っで合計十三町十七間四尺(1,450.30m)。総測二里二十五町四尺(10,583.03m)。 七っ時頃(午後4時頃)に宿へ帰る。 |