伊能忠敬『測量日記』 八月十四日(忠敬の隊) 朝白曇。五っ時(午前8時)より晴れ。四っ半頃(午前11時頃)より曇り。神ノ浦村に逗留して測る。六っ後(午前6時過ぎ)に出立した。 黒崎と神ノ浦村の界(長崎市赤首町)、字赤首崎の赤印より初めて、沿海を逆に測る。鳥波石。神ノ浦川尻は巾二十間(36.36m)。止宿の入口神印迄、沿海二十九町三間五尺(3,170.61m)。これより測所へ打ち上げ、横に一町五十一間(201.82m)。止宿の後に鎮守松尾大明神社(現在は、小さな祠がある)がある。又、神印より初めて、沿海を測る。道徳(長崎市神浦下道徳町)。手水崎。相ノ川は巾六間(11m)ばかり。雪ノ浦村枝小松(大瀬戸町雪ノ浦小松郷)。小松川尻は巾六間(11m)ばかり。白岳崎(白岳鼻)。二ッ瀬崎。順に逆に両手が合流して測る。沿海一里六町五十七間三尺(4,686.36m)。 沿海合計二里一間二尺(7,856.97m)。外に測所へ打ち上げ、一町五十一間(201.82m)。惣測二里一町五十二間三尺(8,059.09m)。舟中で昼休み。八っ時前(午後2時前)に宿(本陣が庄屋の一ノ瀬伊太夫宅、別宿が朝永清兵衛宅)へ帰る。 この夜、佐嘉領深堀の大庄屋久保治郎治、同所庄屋惣代長八、東嶋平橘が連れて来る。 曇晴れ。大手分の中 永井 門谷 保木 甚七。彼杵郡大村領福島(大瀬戸町瀬戸福島郷)を測る。同島の立瀬鼻。十二日の打ち止めより初めて、右山の方に測る。波石崎。人家。中鼻。瀬戸村枝福島。人家。焼島瀬戸(現在は陸続き)。焼島より渡ることにして、残した小印に繋げる。又、松崎。測遠の幟に繋げて終る。沿海二十六町五十五間(2,936.36m)。福島は十二日と十四日で一周一里二十町一十六間五尺(6,139.70m)。 又、瀬戸村の地方の宮ノ崎。宮印より初めて、左山の方に沿海を測る。雪ノ浦村。唐芋崎(唐見崎)で測遠の幟に繋げて、四十一間五尺(76.06m)。音無川尻(雪ノ浦川)巾二十間(36.36m)ばかり。奥は入江である。川印を残す迄、二十六町十間四尺(2,855.76m)。これより川尻口の洲鼻より向路へ渡ることにしてロ印を残して置く。川口は巾一町一十二間(130.91m)。川印より初めて、川尻と入江を回る。雪ノ浦本村の入江を一周し川尻口のロ印に繋げる迄、二十三町五十七間(2,612.73m)。二っ瀬鼻。順に逆に両手合流して測り、二町三十五間二尺(282.42m)。 沿海合計一里一十六町四十三間(5,750.91m)。外物一町五十三間五尺(206.97m)。総測二里九町三十一間五尺(8,894.24m)。 九っ時頃(午後0時頃)に雪ノ浦(西海市大瀬戸町雪浦)に着く。止宿は浦庄屋の田崎勘助宅、村庄屋の富永伊左衛門宅。 |
※国土地理院承認番号 平14総複、第253号 平成14年10月9日 |