伊能忠敬『測量日記』
八月十六日 (忠敬の隊)
朝は曇り。四っ後(午前10時過ぎ)より晴れ曇り。夜は雨。六っ後(午前6時過ぎ)に三重村(三重町)を出立した。
大村領式見村(長崎市式見町)字螺崎。測遠の幟サ印より初める。即ち、別手の測り止め。沿海を順に測る。詫摩(タクマ)浦。鍋崎。枝相川(相川町)。小川尻は巾三間(5.45m)。野陣で小休止。
式見本村の人家下。左に番所。前川尻巾十間(18.18m)。左に淡島大明神社(淡島神社)。瀬続き干切島。片測して横物一町(109.09m)。左に鎮守乙宮大明神(乙宮神社)の社。福田村字蝶ノ鼻(蝶ヶ崎)。枝手熊(手熊町)。手熊川尻は巾十間(18mほど)ばかり。手熊の内。字柿泊(柿泊町)。小庄屋の茂内宅で昼休み。後瀬。後浜。能瀬。先手の初め田印に繋げて終る。
沿海合計二里四十一間四尺五寸(7,930.45m)。外に横物の片打ち一町(109.09m)。惣測二里一町四十一間四尺五寸(8,039.55m)。
それより乗船して八っ半時頃(午後3時頃)に福田村(長崎市福田町)に着く。止宿は本陣が庄屋佐々木代右衛門宅、別宿が成瀬貞助宅。
(手分け)
晴れ曇り。六っ後(午前6時過ぎ)に式見村を出立した。舟行き三里(約12q)ばかり。
福田村枝手熊(手熊町)の内、能瀬鼻田印より初めて、左山の方に順に測る。竜崎(竜ヶ崎)。葛篭浦。立目崎。福田村枝小江の内、字小浦。西口鼻。野島(現在は陸続き)を遠測して一周三町(327m)ばかり。枝小江串毛崎。福田崎。障子岩。福田本村(長崎市福田本町)。止宿下迄、一里三十二町五十九間二尺(7,526.06m)。
これより測所へ打ち上げ、即ち本陣前へ一町三十間(163.64m)。
船番所。字船津。字小浦(小浦町)。字大浦(現在は大浜町)。大浦川は小流。成崎(鳴崎)。観音崎(現在、埋め立てにより神の島と陸続きになっている)音印に打ち止めて、一里三町一十九間二尺(4,289.70m)。沿海合計三里一十八間四尺(11,815.76m)。測所打ち上げ共、総測三里一町四十八間四尺(11,979.39m)。
この夜九っ時頃(午前0時頃)に御料所浦上村の内、淵の散使金子滝治郎が(挨拶に)来る。
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背景の地図は、国土地理院長の承認を得て、同院発行の2万5千分の1地形図を複製したものです。
※国土地理院承認番号 平14総複、第253号 平成14年10月9日 |