伊能忠敬『測量日記』
九月六日
晴れ曇りで風。同所に逗留して測る。六っ時後(午前6時過ぎ)に出立した。
手分けして、永井.今泉.箱田.甚七は香焼島属沖ノ島(長崎市伊王島町2丁目)を測る。字アゼ浜のア印より初めて、右山の方に測る。アゼ崎。左に五町ばかり(545m)沖に口ノ瀬が周囲三十間(55m)ばかり。押通鼻。大渡浦で両手が合流して測る。沖ノ島は半周二十町三十四間二尺五寸(2,244.39m)。それより香焼島属伊王島(長崎市伊王島町1丁目)の人家前。別手が沖ノ島より引き渡した王印より初めて、右山の方に測る。右に三四町(約380m)山上の真言宗長福寺(現在は円通寺)に俊寛僧都の墓というのがある。又、沖ノ島より引き渡りイ印に繋げる。沿海三町四間一尺(334.85m)。右に稲荷社。西ノ浦。千畳敷。鳶ノ巣崎。伊王崎は大絶壁。中ノ田浦。左は瀬続きで三十間ばかり(55m)の小島は一周一町半(163.64m)で遠測した。網ノ浦。大明寺崎。島村枝大明寺分。島村は香焼島本村の事である。横山下。伊王島の人家前の初めの王印に繋げて一周を終る。沿海一里一十四町一十二間一尺五寸(5,476.82m)。伊王島は一周一里一十七町一十六間二尺五寸(5,811.67m)。惣測二里一町五十間五尺(8,056.06m)。
門谷.尾形.保木.佐助は香焼島属沖ノ島を測る。字アゼ浜で手分けしたア印より初めて(香焼島から伊王島大橋が架橋された)、左山の方に測る。沖ノ島は人家三十六軒。鶴ノ羽崎。伊王島の瀬戸(現在、沖之島と伊王島は橋で結ばれている)迄、一十六町九間(1,761.82m)。これより伊王島へ渡ることにして王印を残す。渡り二十四間三尺五寸(44.7m)。又、地方の初めの唐船浦入江口迄、三町三十六間(392.73m)。これより又、伊王島へ渡ることにしてイ印を残す。渡り一十九間三尺(35.45m)。又、地方の初めの大渡浦で両手が合流して測り、一町五十九間四尺(217.58m)。沿海合計二十一町四十四間四尺(2,372.12m)。繋ぎが五ヶ所で三町一十九間四尺(363.03m)。横物の合計四町三間四尺五寸(443.18m)。沖ノ島は惣測二十五町四十八間二尺五寸(2,815.3m)。沖ノ島は両手で一周一里六町一十九間五寸(4,616.52m)。
又、香焼島(長崎市香焼町)を測る。昨五日に沿海で打ち止めた枝栗ノ浦入口の栗印より初めて、右山の方に測る。栗ノ浦の人家前に切印を残す迄、四町一十五間(463.64m)。これより裏海へ横切り、横印を残す。横切り二町三十四間三尺(280.91m)。又、切印より初めて、竜ノ口鼻(伊王島大橋が架橋された)を回り、横切って残した横印に繋げる。八町二十八間(923.64m)。ケンキウ鼻(玄牛鼻)に十印を残す迄、三町二十一間(365.45m)。これよりケンキウ鼻を回って十印に繋げる。一周二町四十二間(294.55m)。外に幟に繋げて一十三間二尺(24.24m)。恵美須崎(海老瀬)。丸島は遠測して一周四十間(73m)ばかり。丸島浦。昨五日に深浦より横切って残した丸印に繋げる。二十三町一十六間四尺(2,539.39m)。カンタイ浦。昨五日に長浜より横切って残したカ印に繋げる。九町三十九間五尺(1,054.24m)。カンタイ鼻に石印を残す迄、四町三十六間(501.82m)。カンタイ鼻を片測一町一十九間四尺(144.85m)。カンタイ島(沖ノ岸台島)は一周四町三間(441.82m)。同じく離瀬を片測五十六間(101.82m)。地方の石印より初めて、字小瀬戸。蔭ノ尾島へ渡って残した香印に繋げて終る。九町二十二間五尺(1,023.33m)。
沿海合計一里二十六町五十九間二尺(6,871.52m)。外物七町四十五間三尺(846.36m)。島は四町三間(441.82m)で沖島の総測共。総測二里二十八町三十六間一尺一寸(10,974.88m)。別手は七っ半後(午後5時過ぎ)、当手は六っ半後(午後7時過ぎ)に宿へ帰る。香焼島の全周は五日と六日の分、三里三十町四十間二尺(15,127.88m)。
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背景の地図は、国土地理院長の承認を得て、同院発行の2万5千分の1地形図を複製したものです。
※国土地理院承認番号 平14総複、第253号 平成14年10月9日 |