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       伊能忠敬『測量日記』 
       
      九月十二日 
       
       曇天で風がある。六っ時後(午前6時過ぎ)に佐嘉領為石村(長崎市為石町)を出立した。 
       
       惣一手で測る。同村の為印より初めて、沿海を測る。二本瀬崎(メボシ崎)。野陣で小休止。瀬越崎。それより御料所。茂木村枝藤田尾名。小川尻は巾三間(5.45m)。二っ岳崎。この所で藤田尾の人足が残らず迎え去ったので致し方なく千々名(長崎市千々町)へ行く。千々名の乙名の利七宅で昼休み。 
       
       それより千々名の人足を使って初める。黒瀬は周囲十間(18m)ばかり。大瀬は周囲三十間(55m)ばかり。猿嶽川尻は巾六間(10.91m)。千々名の人家下。塩竈社(監竈大明神)がある。字平瀬崎で沿海を打ち止めて、一里二十二町三十五間二尺(6,391.52m)。 
       
       それより七っ時後(午後4時過ぎ)に千々名へ帰り止宿。本陣は乙名の利七宅、内弟子は百姓の儀右衛門宅、下役は百姓の孫右衛門宅。長持ちは百姓の太八宅。下役僕は万之助。五軒共に無利で止宿。こ此の夜は晴れ曇りで、測量用の土地が無く測れない(天文観測には10坪以上で、南北に開けた場所が必要であった)。 
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