伊能忠敬『測量日記』
九月十三日
曇り晴れ。六っ時後(午前6時過ぎ)に茂木村枝千々名を出立した。
惣一手で測る。同所字平瀬崎の昨日の打ち止めより初めて沿海を測る。字菜切崎。枝大崎名(大崎町)。字落迫。百姓の清太郎宅で昼休み。枝宮摺名(宮摺町)峠川尻は巾五間(9.09m)ばかり。字針ノ耳。字汐生崎(潮見崎)。茂木村。家数二百十軒。月の名所。左に浄土宗松尾山玉台寺。茂木村入江口にモ印を残す迄、沿海一里三十二町三十間(7,472.73m)。
これより入江口を引き渡り、沿海を打ち止めてキ印を残す。沿海一十五間三尺(28.18m)。即ち入江口の渡り巾。沿海合計一里三十二町四十五間三尺(7,500.91m)。
又、モ印より初める。但し袋形の入江を回る。土橋(現在の若菜橋)の手前の土印迄、四十二間(76.36m)。これより土橋を渡り、入江の向かいの制札前に札印を残す。横に三十三間一尺五寸(64.45m)。即ち土橋の巾。
又、土印より初めて、入江を回り入江の底の大川尻(若菜川)は巾二十七間(49.09m)。字片町。八月二十三日に長崎より打ち出した片印に繋げて、四町二十六間五尺(485.15m)。
制札前の札印に繋げる。三町九間(343.64m)。
測所前の入江の出口で沿海の打ち止めのキ印に繋げる。一町六間(120m)。入江の回り合計九町二十三間五尺(1,025.15m)。外に横物三十三間一尺五寸(64.45m)。
沿海共三口で総測二里六町四十二間三尺五寸(8,586.52m)。
七っ時頃(午後4時頃)に茂木村(長崎市茂木町)に着く。止宿は庄屋の森岡貞八郎宅。一同で止宿。浦見番の森茂八郎。黄次郎兵衛。この夜は星を測る。
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