伊能忠敬『測量日記』 坂部貞兵衛を中心とした手分け。伊能忠敬の隊は大村市から川棚、佐世保へ。 十一月二十七日 晴天。彼杵郡壱岐力村海辺の加の印より初める。佐瀬村(諫早市多良見町佐瀬)。庄屋の松尾善左衛門宅で昼休み。佐瀬鼻(小崎鼻?)。字前浦。字本浦。字大浦。堂崎鼻。字堂崎。佐瀬と長与(西彼杵郡長与町)との村界の幟に繋げて終る。二里一十四町四十間一尺(9,454.84m)。それより乗船しておよそ三里(11,781.81m)、陸を行き二十町(約2,181m)ばかりで長与村(西彼杵郡長与町丸田郷)へ暮れに着く。止宿は庄屋の渋川作左衛門宅(現在の長与小学校)。一軒で済む。 十一月二十八日 風雨。大村領長与村字解屋(毛屋)。長与川端の長の印より初める。沿海を逆に測る。長与川尻は巾三十間(54.55m)。枝岡字下岡。字馬込。馬込鼻(馬込ノ鼻)。字一本松。字塩床。長与と佐瀬の村界、堂崎の幟に繋げる。沿海を逆に測って、一里二十町三十九間四尺(6,181.21m)。暮れ六っ頃(午後5時頃)に長与村枝船津(西彼杵郡長与町岡郷)へ移り止宿。尾道屋五郎兵衛宅。坂部は長与村庄屋宅へ残る。余りは残らず一宿になる。 十一月二十九日 晴天。彼杵郡長与村長与川尻の長の印より初める。沿海を順に測る。字白津(長与町斉藤郷)の甲の印迄、一十八町一十二間(1,985.45m)。此より清水島へ渡る。瀬戸の巾三十九間(70,91m)。長与村持ち清水島は周囲が六町二十五間五尺(701.52m)。崎野崎(崎野ノ鼻)。時津村(時津町)。竜宮鼻(竜崎)の幟に終る。三十四町七間(3,721.82m)。沿海合計一里一十六町一十九間(5,707.27m)。中食は船中。引返して又、長与川尻の長の印より初める。時津へ横切る。字船津。字皿山。時津村字界目。枝西時津。字山蔭。長崎街道との追分けの時の印迄、三十町五十一間(3,365.45m)。追分けより長崎へ三里(11,781.81m)。時津村字市場の人家の後の海岸へ出て市の印を残して打ち止める。一町四十二間(185.45m)。横切り合計三十二町三十三間(3,550.91m)。総測二里一十九町五十六間五尺(10,030.60m)。七っ頃(午後3時頃)に時津村(西彼杵郡時津町元村郷)に着く。止宿は坂部が庄屋の御厨金吾宅、福島屋茂一郎宅。 十一月晦日 曇天。同所に再び宿泊。長与村持の二島を測る。地方の幟より初める。二島一周は九町五十八間二尺(1,087.88m)。外に繋げて四十間四尺(73.94m)。汐が満切で十八間一尺(33.03m)。合計一十町五十七間一尺(1,194.85m)。又、時津村持ちの黒島を測る。字赤坊の地方の町見の幟より初める。黒島は一周七町二十一間四尺五寸(803.18m)。外に繋げる物一十五間(27.27m)と八間三尺(15.45m)。合計七町四十五間一尺五寸(845.91m)。島々を測り終って地方の時津村の内、竜崎鼻に昨日打ち止めた幟より初める。字畑下。三八宅で昼休み。恵比須崎。神崎。揚瀬に繁ぎ二十四間(43.64m)。周囲およそ二町ばかり(218.18m)。字田下(シモのルビあり)。枝西時津(西時津郷)。字浜田(浜田郷)。字市場。昨日横切って海辺へ出て残して置いた市の印に繁げて終る。沿海一里一十町四十三間四尺(5,097.57m)。総測一里二十九町五十間五寸(7,181.97m)。八っ半頃(午後2時頃)に宿へ帰る。 十二月朔日 曇天で徴雨。時津村を出立した。同所の海辺、字市場の市の印より初める。時津川は巾三間(5.45m)。枝左底(サソコのルビあり)。字久留里。久留里崎(現在は埋め立てられて無い)。日並村。日並川は巾三間(5.45m)。枝木場。木場崎。赤崎鼻。沿海を打ち止めて一里二十三町三十八間二尺五寸(6,506.67m)。外に久留里崎を横切り四十八間(87.27m)。又、時津村持高島(鷹島)字元ノ洲の地方の幟より初める。左山に測る。高島は一周一十七町十間五寸(1,872.88m)。此の島に人家は一軒。太左衛門宅で昼食。惣測二里五町三十六間三尺(8,466.36m)。八っ半後(午後2時過ぎ)に日並村(西彼杵郡時津町日並)へ着く。止宿は庄屋の郡周蔵宅。百姓田崎太八宅。 |