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伊能忠敬『測量日記』

十二月十三日
 晴天。同所に逗留して測る。亀ノ浦の人家前への印を残して初める。沿海を逆に測る。字風早
(風早郷)。恵比須鼻。字桐崎(切崎)。字福袋崎。字白浜。大串村と形上村の境の昨日の打ち止めに繋いで終わる。沿海一里三十五町四十二間四尺(7,823.03m)。また大串村持ち高島の幟より始める。右山に回る。字仮屋浦に人家は一軒。高島は一周一十三町五尺(1,419.70m)。総測二里十二町四十三間三尺(9,242.72m)。八っ半後(午後2時過ぎ)に宿へ帰る。


十二月十四日
 曇天。同所に逗留して測る。同浦
(亀浦)の人家前の印より初める。裏海へ横切りの印を残す。三十三間(60m)。又、の印より初める。亀ノ浦鼻を回っての印に繋げる。一十二町三十五間五尺五寸(1,374.39m)。字小干浦の横切り迄六町二十七間(703.64m)。裏海へ出ての印を残す。七十五間(136.36m)。又,小干浦の横切りより初めて,恵比須鼻を回っての印に繋げる。九町五十一間(1074.55m)。それよりの印を残す迄一十九町二十間四尺(2,110.30m)。満切りの島(ヒギレ島?)へ渡る。瀬戸巾は二十七間(49.09m)。満切りの島は一周二町三十間一尺(273.03m)。又の印より初める。大串村枝宮ノ浦(西彼町宮浦郷宮浦)の印迄,六町五十九間(761.82m)。裏海へ横切りの印を残す。五十二間(94.55m)。又、の印より初める。宮崎鼻を回っての印に繋げる。四町二十四間(480m)。満切りの獅々首鼻は周囲五十間ばかり(90.91mほど)。字藤ノ浦の沿海で打ち止めて一十九町三十三間(2,132.73m)。沿海合計二里七町十間三尺五寸(8,637.42m)。島と横切りの合計五町三十七間一尺(613.03m)。総測二里十二町四十七間四尺五寸(9,250.45m)。八っ時過ぎ(午後1時半過ぎ)に宿へ帰る。


十二月十五日
 晴れ曇り。大串村枝亀ノ浦を出立した。大串村持ち大寝島。大が一周二町十七間五尺
(250.61m)。中が一周一町十九間五尺(145.15m)。中より小へ渡る。瀬戸の巾一十八間(32.73m)。小一周一町一間三尺(111.82m)。右の三島を合わせて日大寝島。大田島は人家一軒。四町三十九間一尺(507.58m)。一周一十一町五十一間五尺(1,294.24m)。鳶巣岩の周囲は五十間(90.91m)ばかり。小田島の周囲は二町半(272.73m)ばかり。池島は一周二町五十三間五寸(316.06m)。沖ノ裸島(沖裸島)は一周四町三十二間二尺(495.15m)。地ノ裸島(裸島)は一周五町四十一間(620m)。薬鑵島(ヒギレ島)周囲二町(218.18m)ばかり。橘島は一周二町二十間四尺(255.76m)。右の島々の合計三十二町一十六間五寸(3,520.15m)。又,地方の大串村の内,藤浦の昨日の打ち止めより初める。字母衣崎。母衣崎鼻(四本堂公園)は古跡で,一間(1.82m)四方ほどである。大岩に御腰掛石と碑がある(四本堂公園に現存)。此は大村侯の先祖(直澄)、即ち籐原純友の子。伊予国より初めて此の所に着船の所という。正歴年中(990年〜995年)で、即ち今から八百年来であると。御茶ノ水は其の頃茶に用いたという。字イザリ神(膝行神)で打ち止める。沿海三十二町(3,490.91m)。総測一里二十八町一十六間五寸(7,011.06m)。七っ時(午後3時)に大串本村字下竹(西海市西彼町下岳郷下岳)に着く。止宿は庄屋の朝長弥治右衛門宅、医師の朝山松軒宅。


十二月十六日
 曇天。徴雪。同所に逗留して測る。同所の字イザリ神
(膝行神)より初める。才明崎(西彼町下岳郷諫崎)。白崎鼻。字白崎。字唐ノ浦。大串本村下竹(下岳郷下岳)の止宿で昼休み。それより前島鼻のの印迄、沿海一里一十町三十三間(5,078.18m)。前島(前ノ島)へ渡る。瀬戸の巾十五間(27.27m)。前島(前ノ島)は一周三町一尺(327.58m)。同じく三島は合計六町八間五尺(670.61m)。同島属の前島の中瀬戸の巾三十六間(65.45m)。小瀬戸の巾九間(16.36m)。一周一町二十四間四尺(153.94m)。一町四十四間(189.09m)。又、の印より初める。沿海を測る。食場川尻(大明寺川)は巾三十三間(60m)。中島(中の島)鼻で打ち止める。沿海一十七町十九間二尺五寸(1,889.85m)。沿海一里二十七町五十二間二尺五寸(6,968.03m)。総測一里三十五町一間一尺五寸(7,747.72m)。八っ半頃(午後2時頃)に宿へ帰る。


十二月十七日
 曇天で雪。大串村を出立した。同村の中島鼻より初める。海老崎
(エビ崎。現在はオランダ村の内)字岩屋河内。茶切鼻。字平島。赤松鼻。銭島(現在は埋め立てられて無い)は一周三十間(54.55m)ばかり。ワケアガリ鼻で打ち止めての印を残す。沿海一里二十四町四十八間三尺(6,633.63m)。坂部は大串村に逗留。其の余りの者は大串村枝三町分(西海市西彼町大串郷)に七っ頃(午後3時頃)に着く。止宿は大村家中の山口与右衛門宅。


十二月十八日
 時々雪。三町分に逗留して測る。大串村の字ワケアガリ鼻のの印より初める。神辺島
(勘兵衛島。三島と地続き)へ渡る。瀬戸の巾四十二間(76.36m)。神辺島(カンベのルビ有)は一周十三町四十四間三尺五寸(1499.24m)。同島より三島へ渡る。瀬戸の巾九間(16.36m)ばかり。三島は一周一十四町三十七間三尺(1595.45m)。神辺島より竹島へ渡る。瀬戸の巾一十三間(23.64m)。竹島は一周二十四町一十八間四尺三寸(2,652.21m)。竹島より筝島へ渡る。瀬戸の巾一十五間(27.27m)。筝島(タケノコのルビ有)は一周二町一十一間二尺(238.79m)。竹島より赤松島へ渡る。瀬戸の巾一十八間五尺(34.24m)。赤松島は一周九町四十間一尺(1,054.85m)。竹島より池方の蕨鼻へ渡りの印を残す。瀬戸の巾二十一間(38.18m)。外に竹島鼻を横切り一十間五尺(19.70m)。鶴亀鼻を横切り七間(12.73m)。島の合計一里二十八町三十間一尺八寸(7,036.91m)。瀬戸の横切り二町七間四尺(232.12m)。総測一里三十町三十七間五尺八寸(7,269.03m)。外に遠測する。銭島の周囲四十間ばかり(72.73mほど)。有毛島の周囲一町余(109.09m余り)。有毛島の小の周囲十二間(21.82m)ばかり。八っ半後(午後2時過ぎ)に宿へ帰る。


十二月十九日
 昨夜より雪。午時に止む。赤松島より前島へ渡る。瀬戸巾二十二間
(40m)。前島一周八町九間(889.09m)。八っ半後(午後2時過ぎ)に三町分の宿へ帰る。


十二月二十日
 曇り時々小雪。同所に逗留して測る。大串村字ワケアガリ鼻のの印より初める。蕨鼻のの印に繋げる。九町二十一間
(1,020m)。二十五鼻。京ヶ崎。枝三町分。字俵頭浦。字ヘゴ崎(朶ノ崎)。鳥加川尻(トリカのルビ有)は巾三十間(54.55m)。字鳥加(鳥加郷)。瀬越鼻。瀬越浦。鳥帽子鼻。三町分の内、ケヤ鼻で打ち止める。一里十七町九間(5,798.18m)。沿海総測一里二十六町三十間(6,818.18m)。八っ半過ぎ(午後2時過ぎ)に宿へ帰る。


十二月二十一日
 三町分を出立した。大串村
(大串郷)字ケヤ鼻より初める。イス川(柚子川)の谷川尻を渡り巾二十間(36.36m)ばかり。字当ノ尾。枝三町分。字網代。八郎崎。字城ノ峯。字横浦。菰立川(コモのルビ有)吉川尻の巾十五間(27.27m)。岩ヶ崎。八木原村(八木原郷)字大浦。字八木原形の幟に繋げて終る。沿海が一里二十五町一十九間三尺(6,690m)。同村の持ち塔島(堂島)は一周三町二十一間一尺(365.76m)。同島より千鳥島へ渡る。瀬戸の巾三十六間(65.45m)。千鳥島。片打ち二十四間(43.64m)。同島より焼島へ渡る。瀬戸の巾四十五間(81.82m)。焼島は一周四町十六間五尺(466.97m)。外に遠測する。地ノ安甫島(ヘタ安甫島)は周囲一町半ばかり(163.64mほど)。沖ノ安甫島(沖安甫島)は周囲二十間ばかり(36.36mほど)。玉子島は周囲一町(109.09m)ばかり。鵜瀬の小磯二。八っ半頃(午後2時頃)八木原村(西海市西彼町八木原郷)へ着く。止宿は松添直助宅。即ち坂部と入れ替る。坂部は枝小向(西彼町小迎郷小迎)へ移る。総測一里三十四町四十二間三尺(7,713.63m)


十二月二十二日
 曇り晴れ。八木原村を出立した。同村字八木原形の人家下の幟より初める。字黒崎。枝深江浦。小島の満切りは周囲三十間
(54.55m)ばかり。枝小迎。庄屋の佐藤源治兵衛宅で昼休み。枝鋤崎。川内浦村(小迎郷)魚釣崎。トム子崎。此の所は平戸領針尾島に対している。瀬戸巾は狭い。汐行きは大いに早い。即ち針尾島の瀬戸である(現在は西海橋が架けられている)。枝伊ノ浦(伊ノ浦郷)の人家の前で打ち止める。沿海一里二十町三十一間(6,165.45m)。外に八木原村持ち長島は一周九町四十七間三尺(1,068.18m)。同島より満切りの小島、瀬戸の巾四十八間(87.27m)周囲二十間ばかり(36.36mほど)。矢筈島は一周六町一十五間(681.82m)。総測二里一町二十一間三尺(8,002.72m)。川内浦村(西海町川内郷)枝畑下(西海市西海町水浦郷畑下)へ八っ半過ぎ(午後2時過ぎ)に着く。止宿は坂部が永野八右衛門宅,即ち庄屋。田嶋直助宅,即ち麹屋。


十二月二十三日
 同所に逗留して測る。同村枝伊ノ浦
(伊ノ浦郷)の人家前より初める。汐ノ目崎。大道鼻(ヲホのルビ有)。弁天島は周囲一十五間(27.27m)ばかりで遠測する。波石崎。字皆割石。木場川の谷川巾は三十九間(70.91m)。川内浦本村(西海町川内郷)の庄屋の田崎祥助宅で昼休み。財根崎。枝高地。枝畑下。川内浦村と横瀬村の界で打ち止めての印を残す。沿海二里二十町二間五尺(10041.51m)。又,同村持ち浄土島は一周三町一十五間(354.55m)。外に幟に繋げて二ヶ所で一十四間一尺(25.76m)。総測二里二十三町三十二間(10,421.81m)


十二月二十四日
 曇天で時々雪。川内浦村枝畑下
(シモのルビ有)を出立した。川内浦村と横瀬村の界のの印より初める。即ち横瀬村枝水ノ浦(水浦)人家下。枝北泊浦。早崎。枝小郡。下り松鼻(サガのルビ有)。巣喰浦(巣喰ノ浦)。舟中で昼休み。獅々首鼻(猪ノ首鼻)。字銭亀浦。銭亀鼻。丸崎(現在,この付近は米軍貯油所)。赤石鼻で打ち止める。沿海二里二十九町五十六間三尺(11,120.90m)。外に繋ぎ二ヶ所で九間四尺(17.58m)。総測二里三十町六間一尺(11,138.48m)。七っ後(午後3時過ぎ)に横瀬本村(西海市西海町横瀬郷横瀬)に着く。止宿は庄屋の宮崎浜八宅。


十二月二十五日
 曇天で午後小雨。同所に逗留して測る。面高浦と横瀬村の界の字水尻に残して置く御用杭より初める
(後に西彼半西海岸測量の起点となる)。沿海を逆に測る。字寄船。番所。ヲグメ鼻。猿浦入江。字御手洗(ヲテフヅのルビ有)。クビレ鼻に至る。一里一十三町三十九間(5,416.36m)。満切りの島(八ノ子島)は一周一町三十二間四尺五寸(168.64m)。横瀬本村赤石鼻の昨日の打ち止めに繋げて終る。八町二十一間三尺五寸(911.97m)。沿海合計一里二十二町三尺五寸(6,328.33m)。外に鉢子島(八ノ子島)は一周二町一十六間五尺(248.79m)。総測一里二十五町五十間一尺(6,745.75m)。九っ後(午後0時過ぎ)に宿へ帰る。


十二月二十六日
 大村領横瀬村を出船。平戸領佐世保村
(佐世保市谷郷町)に午後に着く。両手は合流して同宿する。