○2019年撮影(その2)

*本HPの写真・図版等の転載・転用等を固く禁止します。

写真<2019年5月>
 先ずは全景からです。


写真<2019年5月>
 屋根のみですが端島神社の光景です。また、慰霊碑の先端部分も見えています。


写真<2019年5月>
 学校グランド護岸のテトラポットの現在の光景です。


写真<2019年5月>
 少し拡大してみました。ボタ浜も少し残っているようです。


写真<2019年5月>
 学校グランドの角からドルフィン桟橋方向を望む光景です。
 閉山後になりますが、学校グランド横のすべりがあった付近には大きな消波ブロックが設けられました。
 また、その手前にはコンクリートでできたと思われる大きな構造物も多数横たわっていますが、これらは人が住んでいる時にはなかったもので、閉山後に流れ着き溜まった物だと思います。


写真<2019年5月>
 上段写真右端部分の拡大に相当する写真ですが、コンクリートではなく石積護岸の一部と思われる物も流れ着いているような気がします。


写真<2019年5月>
 この日はかなり潮が引いていて、昔の護岸の残骸などと思われる塊がたくさん海面上に姿を現していました。


写真<2019年5月>
 ボタ浜を横から眺めてみました。


写真<2019年5月>
 22号棟(かもめ荘)から31号棟にかけての光景です。ここの石積も非常に大好きな場所の一つです。


写真<2019年5月>
 左の建物が学校校舎で、右側の建物は65号棟です。建物の間に、どうにか架かっている構造物がありますが、避難階段の名残だと思います。


写真<2019年5月>
 学校校舎と65号棟の現状です。


写真<2019年5月>
 7階部分の壊れ方をご覧いただくために、建物上部を拡大しました。


写真<2019年5月>
 手前の赤い壁は昔の第三竪坑巻座上屋に使用されていた建物の一部で、赤い壁の後ろの白っぽい建物が総合事務所だったと思います。


写真<2019年5月>
 上段写真の左下の部分を抜き出しました。
 床の表面は白く平たいコンクリートの床で、その下には煉瓦欠片の層があって、その下に煉瓦がきちんと並べられています。
 ちなみに、煉瓦の順番に違いがありますが、中の島においても、 似た構造物 があります。


写真<2019年5月>
 30号棟です。目には見えない速度で崩壊は進んでいるようです。


写真<2019年5月>
 30号棟の上の方を拡大してみました。


写真<2019年5月>
 5~7階部分の拡大ですが、6階と7階の床が抜けているようです。


写真<2019年5月>
 4~6階部分の拡大です。4階の部屋では机の他に、障子や押入れらしき物が見えます。


写真<2019年5月>
 角度を変えて4階部分の拡大です。部屋右横の通路部分も床が抜けています。


 いつ頃、4階部分の机が直視できるようになったか過去の写真にて確認しましたところ、2018年の1月から3月の間のどこかで、納戸部分?の壁が壊れて直視できるようになったようです。ちなみに、5・6階の納戸部分?の壁ですが、遅くとも2006年には壊れているように思われます。
<2018年1月撮影>
壁の後ろに机が見えますが、まだ、机の前には壁が存在しています。
<2018年3月撮影>
壁がなくなり机が直視できています。
<2019年5月撮影>
こちらでは障子の姿もはっきり伺えます。
写真写真写真


写真<2019年5月>
 2018年10月の台風にて、ドルフィン桟橋の南部側は表面部分が剥がれ落ちていましたが、復旧が完了しています。白い部分が復旧箇所です。

※参考
  上陸観光桟橋への改修時写真<2008年10月>
  台風被害発生時写真<2018年10月>
  復旧工事時写真<2019年1月>


写真<2019年5月>
 白い部分が復旧箇所です。


写真
<2019年5月>
 ドルフィン桟橋の北側にある石炭積込桟橋の基礎です。石積の基礎が私とっては非常に気になる存在ですが、その昔はメインとしての石炭積込桟橋の基礎だったと思います。昭和40年代の中頃?に石積の基礎の上にコンクリの基礎を設け、その上に小さな石炭積込桟橋が設けられたことがありました。
 ちなみに、昭和10年前後頃に使用されていた時の写真がありますが、その頃はもうメインではなくなっているようです。

写真
<2019年5月>
 写真右端には左写真にある石炭積込桟橋の基礎が写っていますが、この日は割と海水が綺麗で、護岸の海面下の様子が伺えました。


写真<2019年5月>
 場所は、第四竪坑の横にあり閉山まで使用された石炭積込桟橋があった場所周辺です。
 閉山まで使用された石炭積込桟橋があった場所の南側に隣接する位置に写真に写る柱状の構造物がありますが、写真左側の2本の柱と右側の2本の柱及び柱を取り囲む基礎は、昭和の初めまで使用されていた石炭積込桟橋の基礎ではないかと思っています。ちょっと考え込む必要があるかも知れませんが、こちらの写真をご覧ください。


写真<2019年5月>
 海底水道取込口付近の光景です。
 防波堤が見えていますが、防波堤の基礎は石積で、その上にコンクリートが載っています。


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