○二代目ドルフィン桟橋

*本HPの写真・図版等の転載・転用等を固く禁止します。

写真《建設工事中の端島ドルフィン桟橋(第2回)》
<写真は、「端島(軍艦島)」(平成16年)より高島町教育委員会の許可を頂き転載>
 昭和33年11月9日に竣工し、昭和34年9月17日?流失と超短命でした。
 初代のドルフィン桟橋は、島から船まで一本の橋でしたが、二代目は、島から沖合いにある桟橋までは固定式の渡橋で、桟橋から船までは可動式の渡橋となっていました。また、初代では柱面の幅は四面全て同じ?ですが、2代目は、潮が流れてくる南部方面の幅は、抵抗を減らす為か、かなり狭いようです。


写真
<写真は、「高島町十年の歩み(町制施行10周年記念)」高島町役場(昭和33年)より>
 あと少しで完成の頃の光景でしょうか?。

写真
<”はしま”閉山記念特集号より、編集者の許可を得て掲載>
 二代目のドルフィン桟橋が完成し、旧桟橋での最後の上陸をする乗船客です。バックの護岸上には大勢の見物人がいらっしゃいます。


写真
《島の別れ(昭和34年)》
<写真は、「端島(軍艦島)」(平成16年)より高島町教育委員会の許可を頂き転載>
 写真右下にある桟橋(2基ある内の北側)が低いのも初代ドルフィン桟橋との違いの一つです。

写真《ドルフィン桟橋(第2回)の接岸状態を見る夕顔丸と甲板長。(昭和33年頃)》
<写真は、「端島(軍艦島)」(平成16年)より高島町教育委員会の許可を頂き転載>


写真《ドルフィン桟橋完成後の乗船風景(昭和34年)》
<写真は、「端島(軍艦島)」(平成16年)より高島町教育委員会の許可を頂き転載>
 渡橋の骨組構造や土台の階段の手摺りがパイプ製等二代目の特徴がよく分かります。
 なお、お持ちでしたら、<写真:伊藤千行、文章:阿久井喜孝、「軍艦島 海上産業都市に住む」、株式会社、岩波書店、1995、p.48>の写真50を一度ご覧下さい。南部沖合から朝顔丸が接岸している二代目ドルフィン桟橋を撮影した写真があります。波の抵抗を少なくするために初代より小柄な姿と、初代は、島と桟橋間の渡橋が波の干満に合わせて上下していたのが、二代目は、島と桟橋間の渡橋は固定で、ドルフィン桟橋内にあった短い渡橋が上下する図式がよく分かります。


戻る

連絡船・桟橋へ

TOP

次へ