○桟橋・学校海岸(すべり)

*本HPの写真・図版等の転載・転用等を固く禁止します。

写真
《写真にもあるように野母半島から、野菜船が通ってきていた。》
<”はしま”閉山記念特集号より、編集者の許可を得て掲載>
 昔、昔、まだ、よちよち歩きの子どもの頃ですが、学校海岸から小船に乗って、沖合に停泊していた黒い船に乗り、船内の丸い窓から外を覗いた思い出を持っています。夕顔丸か朝顔丸か、それともそれ以外の船かは覚えてはいませんが、《夕顔丸最後の乗船》がタイトルの写真を見ますと、夕顔丸は学校海岸沖に停泊しているように思えますので、もしかしたら私に残る夕顔丸唯一の乗船記憶かもしまれません。
 ちなみに、野菜船ですが閉山間際の頃は対岸の野々串港とを連絡していましたが、私の担任だった先生がこの野菜船を使って端島を離任されたことがあり、そのことは今でもよく覚えています。あと、よく釣りをして遊んでいた記憶があります。


写真<村里 榮 氏撮影>
 私の記憶違いでしたらお許しいただきますが、写真右端に写る護岸では上と下で途中から色が変わっていて、もしかしたら、昭和40年代に護岸の厚みを増す工事を行った際の痕跡ではないかと思います。確か、上の段の護岸部分が一番最後に出来たようで、完成する前は旧護岸の前には一段低い護岸があって歩いてボタ浜まで行けていたように思います。また、私の担任だった先生が端島を離任される際には、一段低い護岸にも見送りの生徒が並んでいたように思います。ちなみに、学校海岸で釣り船を出し入れする光景ですが、その方法等については こちら をご覧ください。

写真
<村里 榮 氏撮影>
 船に乗り込み仲間と釣りに出かける光景でしょうか。なお、学校海岸のすべりでしゃがんでいる方がいらっしゃる場所ですが、確か、海苔で滑りやすいので、すべり止めの取っ手のような金具がありました。
 ちなみに、写真の上部には、学校グランドの護岸沿いに設置されていたテトラポットが写っています。

写真<村里 榮 氏撮影>
 資材倉庫の直ぐ横にあった大きなクレーンを使っての作業の光景です。
 島を去る方の荷物の積み出し光景でしょうか?。



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