○青空市場
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〔 青 空 市 場 ( 坑木置場付近 ) 今 昔 〕
《長崎港外端島風景》 <所有絵葉書> 中央の櫓は
二代目第二立坑櫓初期バージョンで、その右手には、昭和10年11月に廃棄埋戻の
第三立坑櫓が写っていますので、昭和一桁の中程から昭和10年にかけての撮影のようです。
写真右下で端島最後の頃は坑木置場だった箇所には、その昔、青空市場があったそうです、島の先輩から、その市場の中には「クサカヤサイヤ」があったとのお話しを伺ったとき、「臭か野菜屋」ですかと聞き直すと、「クサカヤサイヤ」だと笑っておられました。後で考えると、「草加野菜屋」等の、ちゃんとした?名前のお店が存在したのかなと思いました。
《左上絵葉書の部分拡大》 市場部分の拡大です。後年は、坑木置場等になっていました。
なお、当時の市場部分の護岸は地面より上にはなく、地面と同じ高さまでしかないようです。
<2013年撮影> <長崎市の特別の許可を得て撮影>
上段の《左上絵葉書の部分拡大》の場所が、こちらの写真では右下の部分となります。
本来なら、こちらの写真の右側部分は、もっと切り取らないと、《長崎港外端島風景》の光景と同じになりませんが、こちらの写真の右下にある(垂直の)護岸部分を少しでも残した方が、《左絵葉書の部分拡大》の場所が分かりやすいのではないかと思い、このような構図としました。
ちなみに、上段絵葉書の写真では、市場の後ろに壁が見えておりますが、その壁の一部は、こちらの写真では総合事務所付近で倒れております。また、写真手前の護岸にも時代的相違があります。
<出典:婦人之友第三十巻第十號(婦人之友社・昭和11年10月発行)> 写真の説明には、毎朝、長崎から来る野菜、お魚の市が、九階建の前にたつとあります。その頃の日給の前部分は木造住宅が立ち並んでいた頃ではないかと思いますが、どのあたりになるのでしょうか?。
<村里 榮 氏撮影> 日給と48号棟の間を利用した青空市場を上から見た光景です。写真左側の出っ張った建物は20号棟です。
上記以外にも、51号棟が建つ場所にあった砿業所武道場兼体育館と日給との間や、59~61号棟が建つ場所にあった労務者合宿所と57号棟との間にも青空市場が存在していた時もあるようで、島の青空市場の位置は年代により移動しているようです。なお、閉山間際には、平屋の市場が新65号棟の北側にありましたが、市場と新65号棟ダストシュートの間の少し広い場所では、ごくたまに、ウナギをさばいていた時もあったかと思います。おそらくは「土用の丑の日」の近辺で、長崎から来られた方ではないかと思います。「ニコニコ」のおばちゃんにも大変お世話になりました。
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