<三菱社誌刊行会、『三菱社誌 十九』、財団法人 東京大学出版会、昭和五十六年復刊、八〇頁>には「社誌第二巻 明治二十八年」として「九月十一日 高島炭坑暴風」のことが記載されており、その中から、主な事柄を下記に抜粋します。
- 六日ヨリ八日ニ至ル暴風ノ為稀有ノ激浪
- 一時ニ潮水浸入ノ為坑道入枠ヲ洗掘リ天井墜落拾ケ所ニ及ブ
- 坑外ニテハ桟橋家屋ノ流失潰敗等アリ
- 即死一名行方不明一名アリ
なお、本台風のことと思われる被害状況が<大蔵省印刷局 [編]『官報』1895年09月17日,日本マイクロ写真 ,明治28年. 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/2946942/1/5 コマ番号5 一八九頁(参照 2024-06-03)>に「激浪被害長崎縣西彼杵郡高島及端島近海ニ於ケル激浪被害ノ槪況ハ左ノ如シ(長崎縣)」のタイトルにて記載されているようです。
<三菱社誌刊行会、『三菱社誌 二十』、財団法人 東京大学出版会、昭和五十五年復刊、八一二~八一四頁>には「社誌第十二巻 明治三十八年」として「八月八日 高島炭坑暴風被害」のことが記載されており、その中から、端島に関する主な事柄を下記に抜粋します。
- 高島地方希有ノ暴風アリ、両島未曾有ノ惨害ヲ受ク、就中端島被害ノ状況ニ至リテハ実ニ惨憺タルモノアリ
- 怒濤襲来ノ為海岸数ケ所ノ石垣ヲ崩壊シ、数時間ニシテ数十棟ノ坑夫納屋転倒流失
- 坑外取締係員以下坑夫等ノ必死ノ救助活動ニ依リ僅ニ少数微傷者ヲ見シニ止マリ幸ニ人名ヲ損セズ
- 桟橋ハ流失破壊セラレ約二週間ノ後復旧シ、其間船積休止ノ状態ニアリ
- 端島災害救助トシテハ鑛夫及其家族七百二十余名ニ対シ一人金壹圓、場所限雇員、小頭等及其家族四百九十三名ニ対シ一人金貳圓乃至金七圓、使傭人二名ニ対シ各金五拾圓ヲ支給シ、合計金貳千四圓余ヲ支出スル
- 両島被害復旧費額実ニ金貳拾萬三千貳拾圓ニ達シ、内高島ハ金壹萬九千百七拾圓、端島ハ金拾八萬三千八百五拾圓ヲ計上ス
端島災害救助の人員が一千名を越えています。また、被害復旧費の比率を考えますと、高島と比べて端島の被害が格段に大きかったようです。
《高島炭鉱模型》 この模型の説明によりますと「原作は明治42年作」とあり、明治38年の端島に近い光景になるかと思いますが、<記念アルバム”はしま”編集委員会、『”はしま” 閉山記念特集号』、昭和49年>の「端島礦年表」には、「明治38年(1905) 台風により南部、西部が破壊され社宅38戸が流失」とあります。
模型化の際に、若干、住宅の数が少なくなっている可能性もありますが、この模型の南部・西部の住宅数から38戸の社宅が流失したとすれば、本当に壊滅的な状況であったことが想像できるかと思います。
<三菱社誌刊行会、『三菱社誌 二十一』、財団法人 東京大学出版会、昭和五十五年復刊、一〇八九~一〇九〇頁>には「社誌第十五巻 明治四十一年」として「八月二十六日 高島炭坑暴風被害」のことが記載されており下記に抜粋します。
- 朝来高島地方満潮時ニ際シ暴風アリ、高島、二子、端島各坑被害ヲ受ク
- 端島ニアリテハ激浪猛烈ヲ極メ、通船碇繋用浮標、粉炭積用桟橋及塊炭積用桟橋ヲ流失セシメ、表交番所、消防具室、夕顔丸便乗者待合所、船夫休憩所等ヲ潰滅シ、又船夫其他居住社宅一棟及坑夫浴場ヲモ破損セシメ、第三坑ノ如キハ屡潮水浸入シ、附近堆積ノ坑木転落シ危険言フベカラズ、坑夫ノ全部ヲ小学校舎ニ避難セシム、而モ去ル明治三十八年ニ於ケル風害ノ惨状ヲ想起シ恐怖ノ念ニ駆ラレ一時全島騒然
- 被害復旧工事中最モ其急ヲ要スルモノハ積込桟橋ノ築設ナルヲ以テ高島ヨリ應援大工十三名ヲ派遣シ、竣工約二十日間ノ予定ノモトニ晝夜兼行其復旧ニ努メ、一方直チニ応急仮桟橋ヲ速成セシメ、運炭ノ杜絶ノ為貯炭量ニ影響セシムル至ラズ販売上ニ支障ナカラシム
- 全島損害額合計金壹萬七百五拾圓余ヲ計上シ、内端島被害高金八千五百圓余ヲ占ム
<三菱社誌刊行会、『三菱社誌 二十二』、財団法人 東京大学出版会、昭和五十五年復刊、一六二三頁>には「社誌第二十巻 大正ニ年」として「一月二十一日 高島炭坑暴風被害」について下記の記載があります。
- 二十一日夜ヨリ二十二日ニ亘リ稀有ノ暴風ニテ高島端島共坑内ノ操業ニハ差支ナカリシガ坑外諸建築物ノ被害甚シク、復旧費高島金貳千五百圓、二子島金二百五拾圓、端島金貳千九百圓ヲ計上ス
<三菱社誌刊行会、『三菱社誌 二十三』、財団法人 東京大学出版会、昭和五十五年復刊、二一一四~二一一六頁>には「社誌第二十一巻 大正三年」として「六月三日 高島炭坑暴風雨被害」のことが記載されており、その中から、端島に関する主な事柄を下記に抜粋します。
- 端島ハ激浪護岸ヲ超エテ住家ヲ壓倒シ
- 桟橋ハ流失シ船ハ二艘及空船一艘ノ漂流等ニシテ艀船ハ流失沈没シ、船夫ハ辛ウジテ怒濤ヲ乗リ切リ上陸スルヲ得タリ
- 瓦斯ノ鼻表交番所附近ノ住宅ヲ倒壊シ進ンデ第三坑捲機械室窓ヲ破リ浸潮甚シク一時同機械ノ運轉ヲ中止スルノ已ム無キニ至レリ
- 坑外ノ状況刻刻危険ニ瀕シ且第三坑口ヨリ潮水浸入セシヲ以テ坑夫ニ出坑ヲ命ジ午前十時半頃全部出坑セリ
- 排水溝ハ石木片等流レ込ミテ塞填シ一時浸水及潮水落下ノ為社宅壁ヲ破リタル等ノ結果畳壹千五百枚ノ敷換ヲ要スルニ致レリ
- 此風害ハ十年来ノ惨事ニシテ颶風甚ダ急速ナリシ為多クハ家財ヲ取出ス暇ナク漸ク身ヲ以テ遁レタリ
- 此混雑中僅ニ数名ノ軽傷者ヲ出シタルノミニテ他ニ死傷者ナカリシハ不幸中ノ幸ナリキ
- 端島ニ於ケル被害額ハ金四万五千九百圓ニ達ス
- 応急の処置トシテ破壊家屋居住者救恤トシテ端島ニ金百六拾七圓五十銭ヲ(・・・途中略・・・)支出ス
- 負傷者ハ端島ニ於テ雇人軽傷三、社外人四
<三菱社誌刊行会、『三菱社誌 二十三』、財団法人 東京大学出版会、昭和五十五年復刊、二一六〇~二一六一頁>には「社誌第二十一巻 大正三年」として「七月二十六日 高島炭坑激浪被害」のことが記載されており、その中から、主な事柄を下記に抜粋します。
- 二十六日ヨリ二十八日ニ至ル間高島炭坑地方ニ激浪襲来シ高島二子端島三島ニ甚大ノ被害ヲ及ボセリ
- 端島ニ於テハ桟橋流失シ建物ノ被害甚シク
- 三島ノ被害高合計金四萬八千六百七拾五圓、内高島分金貳萬壹千七百圓、二子分金五千壹百七拾五圓、端島分金貳萬壹千八百圓ナリ、仍テ防波装置ニ付再度ノ経験ニ付研究設計ヲ為シ工事予算ヲ次ノ通計上セリ
防 波 急 設 工 事 | 九八、四八〇円 |
内 | 高 島 ノ 部 | 六、六〇〇円 |
| 二 子 島 ノ 部 | 四〇、七〇〇円 |
| 端 島 ノ 部 | 五一、一八〇円 |
端島南岸鐵筋「コンクリート」突堤工事 | 一四、〇〇〇円 |
<三菱社誌刊行会、『三菱社誌 二十三』、財団法人 東京大学出版会、昭和五十五年復刊、二〇五二~二〇五四頁>に記載されている「社誌第二十一巻 大正三年」の「高島炭坑起業費追加認許」から8月25日付認許の費目名により金額集計を行ったところ、上記金額と一致し内容からも「高島炭坑起業費追加認許(8月25日付)」は上記金額の内訳のように思われましたので、下表のとおり比較表を作成してみましたところ両予算は「災害復旧経費」であると思われました。
ちなみに、
30号棟 当初工事予算のことと思われる
「四階建坑夫社宅建築費」 が今回含まれていますが、追加工事予算と思われる「四階家社宅建增工事費」については
こちら をご覧ください。
《 高島炭坑激浪被害・防波装置工事予算 》 | 《 高島炭坑起業費追加認許(8月25日付) 》 |
区 分 | 金 額(円) | 費 目 名 | 金 額(円) |
防波急設工事(高島ノ部) | 6,600 | 高島百万崎焚料炭陸揚場防波装置費 | 6,600 |
「高島」計 | 6,600 |
防波急設工事(二子島ノ部) | 40,700 | 二子島金網防波装置費 | 350 |
同 発電所防波工事費 | 860 |
同 海岸石垣延長工事費 | 31,200 |
同 発電所防波石垣築造費 | 3,680 |
同 傭使社宅地上工事費 | 580 |
上二子島山腹交通路新設費 | 600 |
二子発電所及汽罐場包圍工事費 | 230 |
二子假倉庫建築費 | 3,200 |
「二子島」計 | 40,700 |
防波急設工事(端島ノ部) | 51,180 | 端島三坑口防波工事費 | 550 |
同 排水孔設備費 | 260 |
同 瓦斯鼻防水工事費 | 3,600 |
同 四階建坑夫社宅建築費 | 27,880 |
同 坑夫社宅假設費 | 5,490 |
同 雇人坑夫社宅被害復旧工事費 | 10,740 |
同 汽罐場防波工事費 | 460 |
同 坑夫社宅建增費 | 2,200 |
「端島」計 | 51,180 |
端島南岸鐵筋「コンクリート」突堤工事 | 14,000 | 同 南岸鐵筋「コンクリート」突起工事費 | 14,000 |
計 | 14,000 |
※端島南岸鐵筋「コンクリート」については、「突起」と「突堤」の記載がありますが、<「三菱社誌刊行会、『三菱社誌 二十七』、財団法人 東京大学出版会、昭和55年復刊、3774~3777頁」の「社誌第二十四巻 大正六年 二子海岸石垣築造外竣工」>の中には、「端島ノ部」として「南岸鐵筋「コンクリート」突堤工事 竣工年月日:大正6年12月31日打切 決算金額:10,564円13」の記載があります。
<三菱社誌刊行会、『三菱社誌 二十三』、財団法人 東京大学出版会、昭和五十五年復刊、二一八八頁>には「社誌第二十一巻 大正三年」として「八月二十四日 高島炭坑暴風雨被害」について下記の記載があります。
- 二十四日午前二時頃ヨリ高島炭坑ニ暴風雨アリ、二十五日午前八時頃ヨリ十一時頃迄ノ間最強烈ヲ極メ正午頃ヨリ漸次気壓ノ下降ヲ見平穏ニ帰セリ、高島二子島端島共被害甚大ナリ、扇風機其他諸機械ノ運転停止ヲ虞レ二十五日ハ入坑者全部ニ出坑ヲ命ジ又坑夫住居家ノ一部埋土流失ノ為危険ニ付避難セシメ、炊出ヲ為シ応急ノ救助ヲ為セリ
<三菱社誌刊行会、『三菱社誌 二十四』、財団法人 東京大学出版会、昭和五十五年復刊、二五七九~二五八〇頁>には「社誌第二十二巻 大正四年」として「九月八日 高島炭坑暴風雨被害」のことが記載されており、その中から、端島に関する事柄を下記に抜粋します。
- 高島炭坑地方ニ暴風雨アリ、両三日来北西風吹キ時時雨ヲ混ジ来リシガ八日ニ至リ愈其勢力ヲ加エヘ来リシヲ以テ端島通船三艘ハ午後一時野母ニ避難セシガ内二艘ハ破損シ一艘ハ沈没セリ
- 満潮時ニ際シ風力益加ハリ打上ル波ノ為鑛夫社宅ノ屋根破損セシモノ四棟、外社宅ニ小破損アリ
- 午後七時頃ヨリ海岸ヨリ打上グル大波高クシテ海岸ノ職工社宅ハ勿論汽缶場ヲ越エテ一坑附近ニ落下スル海水多量ニシテ一坑口ニ打込ムモノト周囲ノ地中ニ浸入シテ竪坑四壁ヨリ落下スル水量多ク竪坑内蒸気管ヲ浸シ坑底喞筒ノ運転意ノ如クナラズ、蒸気ヲ集中シ一方防水工事ニ努メシモ其效無ク遂ニ坑底ニ水没スルニ至ル
- 損害高、高島金壹千貳百四拾圓、二子金壹百貳拾圓、端島金八百九拾圓合計金貳千貳百五拾圓、端島一坑内埋没品代金貳千四百九拾壹圓ナリ
※第一竪坑については明治30年に坑内火災発生のために「消火水没」や「全坑ヲ密閉」の記録も残されていますが、大正時代においても採炭以外の用途で使用されたようです。詳しくは こちら をご覧ください。
<長崎民友新聞、昭和7年8月7日>にはタイトルが「端島の岸壁欠潰す」の記事があって下記の内容が書かれています。記事の内容から島の外海側の出来事と思いますが、具体的な場所については知り得ていません。
- 二日以来の暴風雨に依り西彼端島の岸壁は打ち寄する怒涛に洗はれ一部欠潰し始め沿岸一帯危険に瀕したゝめ附近居住の老人や婦女子は安全地帯に避難し、同地青年団員は端島炭坑労務員の援助を得て徹宵警戒に當つたが四日夜遂に激浪のため延長数十間に渉つて破壊されたが幸ひに人畜に被害はなかつたが損害は一萬八千圓の見込である