○砿業所武道場兼体育館

*本HPの写真・図版等の転載・転用等を固く禁止します。

 閉山時に51号棟があった場所には、その昔、砿業所武道場兼体育館は建っていましたが、昭和34年9月17日の台風14号により倒壊しました。
<参考文献:『端島 軍艦島』高島町教育委員会(2004)>


写真
<写真は、祖父・父が端島に住んでおられた方より>
 閉山時に51号棟が建っていた場所(日給の左側)には木造らしき建物が写っていますが、砿業所武道場兼体育館の姿ではないかと思っています。
 写真手前の屋上が21号棟(昭和29年建設)と思えること、また、48号棟(昭和30年建設)の姿が伺えないことを考え合わせると、昭和29年頃の撮影かと思いますが如何でしょうか?。

写真<写真は、祖父・父が端島に住んでおられた方より>
 左の写真から、砿業所武道場兼体育館部分を切り抜いてみました。護岸では某かの工事が行われているようですが、従来の護岸の海側に新たな護岸を設けているのでしょうか?。


写真写真
《大勢の買物客でごった返す端島銀座(昭和30年代)》
<写真・説明は、「端島(軍艦島)」(平成16年)より高島町教育委員会の許可を頂き転載>
 砿業所武道場兼体育館の外観2枚。左側写真の日給社宅入口階段手前にはダストシュートの姿がありませんが、下にある「遊園地のすべり台も半壊・・・」の写真ではダストシュートの姿が伺えます。なお、左写真では48号棟の姿が伺えるようなので、ダストシュートの設置は昭和30年代の前半ではないかと思います。しかし、どこから集まって来るのでしょうか、多くの人びとの姿が伺えます。

写真
<写真は、祖父・父が端島に住んでおられた方より>
 写真のタイトルには、「昭和十五年四月三日生花大会 於端島道場」とあります。もしかしたら、砿業所武道場兼体育館での光景ではないかと推測しておりますが如何なものでしょうか。


写真
<高比良勝義氏(元島民)撮影>
 砿業所武道場兼体育館の台風被災時の光景のようですが、下段の倒壊時とは別の台風被害時の光景のようです。

写真
<高比良勝義氏(元島民)撮影>
 左写真にもある掛時計の右側に大きな窓が並んでいますが、一番右側の窓の右下には階段が見えます。この階段は閉山時51号棟裏にあった護岸に登る階段と思います。


写真
《遊園地のすべり台も半壊、後に65号棟前に遊園地が建設された》
<写真・説明は、「端島(軍艦島)」(平成16年)より高島町教育委員会の許可を頂き転載>
 上段写真の被災時は室内の道具が倒壊したり、壁の一部が剥がれたりの程度ですが、こちらの被災時には建物が全壊していて。ダストシュート(写真左端の縦に長い構造物)の右側2階出入口部分には、その状況を伺っている人々が見えています。なお、閉山時は違いましたが、砿業所武道場兼体育館とめがね桟橋の間には遊園地があって「すべり台」があったようです。

 ちなみに、<内田好之、『燃ゆる孤島 軍艦島22年間の思い出』、株式会社文芸社、2016年3月、101頁>には、以下の記載があります。
  • 昭和三十四年(一九五九年)九月十七日、台風十四号は昼間に襲来した。
  • 岸壁に打ち寄せる波の振動が伝わってくる。風も益々強くなってきた。その時、今までと違った強い振動を感じた。大波が打ち寄せたのである。岸壁の上部には、波返しがついているが、高く打ち上げられた波は、強風に押され、体育館の真上から屋根を目がけて降り注ぐのだった。
  • 波(海水)の落下により、加速度も加わり、すごい圧力である。水一立方メートルの重さが一屯(千キログラム)だから、あの大波の総重量は計りしれない。スローモーションを見ている感じで体育館は倒壊した。何とも言えない気分だった。


写真《昭和34年台風14号襲来(昭和34年9月17日)
砿業所武道場兼体育館全壊、大波に押し潰された体育館は、端島唯一の屋内運動施設で、ここで柔・剣道などの練習が行われ、いろいろな大会で優秀な成績をあげていました。》
<写真・説明は、「端島(軍艦島)」(平成16年)より高島町教育委員会の許可を頂き転載>


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