○建 物 関 係
*本HPの写真・図版等の転載・転用等を固く禁止します。
〔 配置図 〕
<軍艦島を世界遺産にする会「軍艦島 失われた時を求めて・・・・・。」(2003)より許諾を頂き転載(情報追加のため改造)>
| 上記の建物で、閉山時に存在しなかった建物については、〔 〕を付しています。 |
| 81 圧気機室 | 82 資材倉庫 | 83 変電所 |
84 四坑捲座 | 85 扇風機圧気室 | 86 圧気機室 | 87 清水タンク |
88 第四竪坑風洞 | 89 積込室 | 90 電気倉庫 | 91 オリバーフィルター室 |
92 浮選機室 | 93 炭車修理工場 | 94 原炭ポケット | 95 選炭機 |
96 | 97 二坑口桟橋 | 98 会社事務所 | 99 総合事務所 |
100 倉庫 | 101 倉庫 | 102 第二坑捲 | 103 下請住宅 |
104 仕上工場 | 106 製缶場 | 107 会議室 | 108 鍛冶工場 |
109 鉄柱工場 | 110 プール | 111 ブロアー機室 | T51 端島消費生活協同組合 |
T33 20tクレーン(釣船用クレーン情報含む) | T34 硬荷揚用クレーン(その1) |
T35 15tクレーン | T36 ジブクレーン |
T38 浴場 : 99と100の間 | T17 温室 |
貯水槽 | |
T52 すべり(階段状) | T53 めがね桟橋 | | |
<感謝>
・島の先輩
<参考文献>
・阿久井喜孝 他 編著『軍艦島実測調査資料集』東京電機大学出版局(1984)
・『高島炭砿史』三菱鉱業セメント(株)(1989)
・『端島 軍艦島』高島町教育委員会(2004)
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〔 戦後の住宅建設 〕
左の表は、『三菱鉱業セメント(株)総務部社史編纂室、三菱鉱業社史、三菱鉱業セメント(株)、昭和51年、788・789頁』に記載の「戦後の住宅建設」の項目にある「表110 アパート建設状況」より、建設場所が高島、端島、大夕張のデータを抜粋して引用しています。また、項目の中には、概ね次のことが書かれています。
・昭和25年に住宅金融公庫による融資制度が立法化
・30年には日本住宅公団,36年には年金福祉事業団による融資制度が設置
・昭和25年の美唄,26年の高島を皮切りとして,毎年継続して建設を進めていたが,その対象場所は筑豊5山と油戸,茶志内を除く全炭砿に及び,表110のとおり全額自己資金のものを含め,総計で303棟,5,036戸を建設
とあります。表を見ますと、端島の特徴としては、自己資金による建設が17棟と建築の大部分を占めていることが挙げられるかと思いますが、高島、大夕張では建設の実績はなく、また、「表110 アパート建設状況」の表全体(高島、端島、崎戸、古賀山、大夕張、美唄、芦別、本店及び大阪支店の記載有)を見ても合計18棟となってますので、自己資金による建設は三菱鉱業の中でも端島に集中しております。端島に自己資金による建物が集中した理由と住宅金融公庫融資により建築された建物名が気になるところです。
ちなみに、高島においては、
アパート建設費用の資金別が分かる資料が残っています。
左の表は、「表110 アパート建設状況」の表のデータから、一棟当たり戸数及び坪数を算出したものですが、大夕張と比べて、高島や端島の方が高い数字となっているようです。理由については確認できておりませんが、高層建築がその要因になるのではないかと思います。
〔 明治32・33年の住宅・施行工事集計 〕
年 完成時 | 坑夫・諸職工住居 | 役員社宅 | 従業員関連施設 |
明治32年 1~6月 | 職工住居 2棟 | 6,49号社宅 2棟 | |
明治32年 7~12月 | 53~56号 坑夫住居 4棟 | | 第二病室 1棟、繰込所 1棟 |
明治33年 1~6月 | | 57,58号社宅 2棟 | |
明治33年 7~12月 | 65,66,68号坑夫住居 3棟 | 社宅 1棟 | |
<参考文献>
<三菱鉱業セメント(株)高島炭砿史編纂委員会、『高島炭砿史』、三菱鉱業セメント(株)、1989年、170頁>より端島関係を抜粋 |