○テトラポット・ボタ浜(学校海岸)

*本HPの写真・図版等の転載・転用等を固く禁止します。

写真<写真は「国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省」より>
 昭和49年度撮影の航空写真です。学校グランドから中の島方向に向かって、かなり細長い部分の海面色が違っていますが、海面下に隠れているボタ浜が影響していると思います。
 この時は、昭和40年代初めから中頃にかけての大きさはなかったかと思いますが、潮の状態によっては学校グランドの少し沖ぐらいにボタ浜があったと思います。
 この頃になると、学校グランドや隔離病棟裏ぐらいの護岸手前にはテトラポットが設置されていましたが、学校グランドの方については、学校校舎の2・3階ぐらいからテトラポットの設置作業を見た記憶がありますので、当時の学年を考えると昭和40年代前半頃の設置ではなかったかと思います。
 なお、その時のクレーン船は本当に大きく、すぐ下の写真のとおり、クレーンの高さは隔離病棟前の護岸よりも高かったようです。ちなみに、クレーン船は既に設置されているテトラポット等にワイヤーロープをかけて、ロープを巻くことによって船体を前後?左右に動かして、台船から護岸手前にテトラポットを設置していたと思います。


写真<写真は、祖父・父が端島に住んでおられた方より>
 昭和27年4月5日撮影の中の島と細長いボタ浜の光景です。ちなみに、昭和31年頃もボタ浜は存在するようです。


写真
<端島支所下っぱ用務員さん投稿映像>
 閉山間際のボタ浜は、学校グランドの護岸手前のボタ浜と、海を隔て少し中の島に向かった位置にポツンと島?(瀬?)のようなボタ浜の二カ所に存在していたように思います。そして、潮がかなり引くと、その二つのボタ浜はつながり、亀の手のような形を現していました。
 つながったボタ浜の先まで一度だけ行った覚えがありますが、かなりの距離があったように思います。振り返ると、学校や65号棟がかなり小さく見えました。

写真<端島支所下っぱ用務員さん投稿映像>
 このテトラポットが設置された場所は、アラカブが良く釣れる場所でした。


写真<端島支所下っぱ用務員さん投稿映像>
 島に人が住んでいた頃は、もっと多くのテトラポットが、「学校グランドのカーブ付近」から「ちどり荘」周辺までと「隔離病棟裏」周辺海域に設置されていました。学校グランド護岸周辺の浜への移動手段は、学校グランド端(砂場の付近)にある木造倉庫裏の護岸から、護岸にしがみつき足を降ろせば、テトラポットに足が届いていたように思います。なお、汚れるのが気にならなければ、高島側の護岸にあった「ゴミの廃棄口?」の穴からもボタ浜に入れていましたし、一時期は、学校海岸すべりから延びる旧護岸手前に出来た新護岸の先からもボタ浜に行けた時期があったと思います。


ボタ山・ボタ浜(西海岸)へ

島のいろいろへ

TOP