これから野崎島へ向かう。 数年間の念願が叶う時が来た。 船に乗ることを、こんなに楽しく感じるのは初めてだ。 |
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海は、少し荒れ気味だった。 乗る人が多く、座席に座ることが出来なかったので、船首の下にあるスペースに潜り込んだ。 船首は一番揺れる場所だが、寝転がっていたので大丈夫だった。 20〜30分ほどで、野崎島へ到着。 いよいよ上陸だ。 |
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無人島とは思えないほど、整備された景色に驚いた。 どこかの公園といった感じだ。 |
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坂道を登って、旧野首教会を目指す。 途中に、十字架が建っている。 墓だろうか。 |
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坂道の途中で、港を見下ろす。 海がとても綺麗だ。 |
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坂を登りきると、突然、ダムが姿を現した。 ここは、野崎ダム。 平成12年に造られ、海底送水管により小値賀島に送水している。 こんなところに、ダムがあるとは思わなかった。 |
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ダムを過ぎると、やがて、集落跡に出る。 家があったのか、畑だったのか分からないが、区割りだけは昔のまま残っているようだ。 左の建物は、ワイルドパーク自然学塾村。 野崎小中学校を改修して、平成元年にオープンした。 宿泊施設があり、キャンプをすることもできる。 トレッキングなど、各種体験プログラムが準備されている。 |
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目の前に、旧野首教会が見えてきた。 数年間、ずっと行きたいと願っていた教会である。 いま、それが目の前にある。 夢のようだ。 |
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教会の周辺には、家や畑の跡地が広がっている。 この教会を囲むように、集落が広がっていたのだろう。 今となっては、かつての風景を想像することも難しい。 |
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もともとは、潜伏キリシタンが移住したのが始まりで、野首と船森の二つのキリシタン集落があった。 しかし、昭和40年頃から集団移住が始まり、ついに昭和46年に無人島となってしまった。 |
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このワイルドパーク自然学習塾村の管理人が住んでいるので、正確には無人島ではない。 今は、人に代わって、多くの鹿が島に生息しているそうだ。 残念ながら、今回は一匹も見ることが出来なかった。 |
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旧野首教会。 鉄川与助の設計・施工による最初の煉瓦迫教会堂建築で、明治41年に完成した。 住民の集団移住の後、教会堂は荒廃したが、大改修の後の平成元年に長崎県指定有形文化財に指定された。 |
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教会は小さな丘の上にあり、集落を見守るように建っている。 コンサートまでは時間があるので、海へ行くことにした。 |
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どの角度から見ても、旧野首教会は溜め息が出るほど、美しい。 どこか外国のような雰囲気さえある。 野崎島へ行った人は、みんな感動して帰ってくる。 それは、決して嘘ではないようだ。 |
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ワイルドパーク自然学習塾村。 今夜は、ここでもコンサートが開かれるそうだ。 夜は、素晴らしい星空が見られるだろう。 |
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何もない無人島に一泊するのも、面白いだろう。 不便さが、また良い。 |
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ワイルドパーク自然学習塾村と旧野首教会。 ここで、初めて人が住んでいた頃の風景を思い浮かべることが出来た。 教会に見守れながら、この運動場で、体育大会や文化祭などが開かれていたのだろう。 その賑わいは、もう二度と戻らない。 「かつて人が住んでいた場所」という観光地は、他にはない。 ある意味、貴重な場所である。 |
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野崎海水浴場へ下りる。 青い海と白い砂浜。 溜め息が出るほど、美しい。 |
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遠浅で、穏やかである。 泳げない人間には、最適な海だ。 |
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夏には、海水浴場として賑わうそうだ。 いつか夏に訪れてみたいものだ。 |
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このまま、ずっと眺めていたかった。 しかし、そろそろ教会コンサートが始まるので、時間がない。 |
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名残惜しいが、また来よう。 |
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旧野首教会に戻ってきた。 この教会は、島民が迫害を乗り越え、貧しい生活を切り詰めて資金を集め、労力も提供して造られた。 ただ、美しいという感想を持つのも良いが、そういう背景を知り、当時の人たちの辛苦を思いながら、鑑賞してほしい。 当たり前に、そこに存在しているというわけではない。 |
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教会コンサートが始まるので、中に入った。 ステンドグラスから日が差して、床を照らしている。 |
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小値賀町歴史風俗資料館に、荒れ果てていた頃の写真があった。 よくここまで改修したものだと思う。 普段の管理も大変だろう。 |
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教会コンサートは荘厳な雰囲気の中で始まった。 静かな曲が多く、歩き疲れたのもあり、ちょっと眠かった。 |
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おぢか国際音楽祭は世界各国から演奏者を招き、演奏会のほか、音楽講習会やセミナー、音楽療法講座など、多種多様なイベントが実施される。 ここまで充実した内容の音楽祭は、本土地区でもなかなかない。 レベルが高いイベントである。 あまり、県内で知名度が高くないのが、実にもったいない。 いつまでも続けてほしいと願う。 |
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教会の前に、大東亜戦争記念と刻まれた石柱があった。 この不釣合いな石柱が、なぜここにあるのだろうか。 今回、野崎島や旧野首教会を紹介するガイドさんがいなかった。 初めて野崎島へ行く人も多いのだから、いろいろと説明してくれるガイドさんが同行していれば、参加者の知的欲求も満たされたであろう。 ガイドの存在は、これからの観光に不可欠だ。 |
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野崎島の滞在時間も短くなってきた。 船に乗り遅れたら、もう小値賀島へ帰ることが出来ない。 他の人とはぐれないようにしないといけない。 |
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名残惜しいが、旧野首教会も見納め。 次回訪れる際は、ワイルドパーク自然学習塾村に泊まり、野首海水浴場の潮騒を聴きながら、過ごしてみたい。 また、野崎島には島の北側に沖ノ神嶋神社があり、その裏手には、「王位石」という不思議な巨石が立っている。 昔は、岩場の上で神楽を舞っていたという伝説も残っている。 宇久からの帰りにフェリーから見たことがあるが、次回はぜひ近くから見てみたい。 いつか、また来よう。 今度は、ゆっくり滞在したいものだ。 |
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野崎島へは、笛吹から町営船「第3はまゆう」で行くことが出来る。 いくつも島があるので、町営船の旅も面白そうだ。 小値賀島や野崎島以外の島の魅力を引き出すことが出来れば、観光客の滞在期間を延ばし、リピーターを増やすことが出来るかもしれない。宇久との連携も考えたいところだ。 全ての島に渡ってみたい。 何泊すれば、可能だろうか。 |
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鹿のオブジェがあった。 妙にリアルで、気持ち悪い。 可愛くない。 |
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小値賀島へ戻る。 風はあるが、海は荒れていないようだ。 |
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帰りも行きと同じ場所になった。 野崎島には、個人で頼んで海上タクシーで行くことも出来る。 団体で行く場合は、その方が便利で良い。 次のページへ進む「NEXT」をクリック! |