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伊能忠敬『測量日記』

九月十日

 晴れ曇りで風がある。六っ後
(午前6時過ぎ)に野母村を出立した。

 手分して我等.門谷.尾形.保木.佐助。彼杵郡野母村
(長崎市野母町)里。後浜。前浜より横切って残した印より初めて、左山の方に沿海を測る。高来郡佐嘉領脇御崎村(長崎市脇岬町)、俗に言う脇津。音瀬鼻。二本松鼻。脇津の人家前。字後浜に印を残す迄、二十三町四十九間三尺。これより裏海、字前浜へ横切印を残す。横切り四十八間。印より初め、人家下に印を残す迄、二町二十四間(261.82m)。又、裏海へ横切り印を残す。横切り三十間(54.55m)印より初めて、呼崎。祇園山を回り、横切って残した印に繋げる。一十一町四十七間五尺(1,286.97m)。それより印を残す迄、二町二十七間(267.27m)。これより弁天島を回っての印に繋げる。弁天島は一周四町三十一間二尺(493.33m)。繋ぎ物三十六間(65.45m)。中ノ島(現在、樺島大橋が脇岬から中島を通って樺島へ架けられている)は一周六町(655m)ばかりで遠測した。御料と佐嘉領の争論のある島。それより字前浜。横切って残した印に繋げる。三町一十一間二尺(347.88m)。測量所の止宿下迄、三町三十間(381.82m)。止宿にて昼休み。
 
 松ヶ崎。ゲンダイ
(源代)鼻。字伊賀見(井上)。トイカケ浜の印に沿海を打ち止めて、二十五町四十間(2,800m)。沿海合計二里四十九間四尺(7,944.85m)。弁天島は四町三十一間二尺(493.33m)。外物が一町五十四間(207.27m)。総測二里七町一十五間(8,645.45m)。脇御崎村(長崎市脇岬町)へ八っ半時頃(午後3時頃)に着く。本陣は広次宅、脇宿は太郎兵衛宅、良八宅。此の夜は星を測る。

 永井.今泉.箱田.甚七は野母村の入江口。字山下。昨日打ち止めた
印より初めて、沿海を順に測る。野母崎を回る。但し海岸は絶壁で風と波が強く、舟で測れなかった。山の上を測る。印を残す迄、二十町三十三間
(2,241.82m)。これより野母崎の遠見番所(権現山にあった)へ打ち上げる。横物二町二十一間(256.36m)。遠見番所にて山や島を測る。又、印より初めて、昨日沿海を逆に測って打ち止めた印に繋げて終る。沿海六町三十五間三尺(719.09m)。沿海合計二十七町八間三尺(2,960.91m)。外に横に二町二十一間(256.36m)。総測二十九町二十九間三尺(3,217.27m)。それより乗船して御料所の高来郡椛島(長崎市野母崎樺島町)へ七っ時頃(午後4時頃)に着く。止宿は島の庄屋の深堀代右衛門宅。

背景の地図は、国土地理院長の承認を得て、同院発行の2万5千分の1地形図を複製したものです。
※国土地理院承認番号 平14総複、第253号 平成14年10月9日