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伊能忠敬『測量日記』

九月十六日

 曇り晴れ。六っ時後
(午前6時過ぎ)に高来郡日見村を出立した。

 惣一手(合同で)で測る。同駅の測所から長崎街道を測り初める。字西ノ下。枝河内坂下郷の内、字岩間。字山口。字松尾。馬川(日見川の上流)巾五間(9.1m)。河内坂下郷。字峠ノ下。字梨木坂。字岩谷、字日見峠、茶屋の要右衛門宅で小休止、彼杵郡長崎村枝本河内郷字日見峠(戦前までは旧暦八月一日には八朔日拝みが行われていた。近年、ながさき街道日見峠愛好会の太田喜義氏を中心に復活の動きがある)。字高野平(現在の日見トンネル西口上)。二股川上(現在の本河内高部水源地に流れる川)は巾一間(1.8m)ばかり。字御手水。字道幸(道光)、右の谷間を十四町五町(約1,600m)見渡せば放火山(峰火山)の中腹に秋葉大権現社がある。百姓の悦治郎宅で小休止。

 字綱切。右に大きなる宝篋塔
(本河内宝篋塔か?文化八年に建立されている)がある。右にばしょう塚がある。目にかかる雲やしばしの渡鳥(この句碑は同じ文化十年の六月に建立されているので、忠敬は真新しい句碑を見たことになる)。一ノ瀬川、一ノ瀬橋を渡り巾四間(7.27m)。枝中川郷。字喰違。右に八幡宮社(この時の宮司は六代 豊上總介正直)が三十間(55m)ばかり引き込んで有る。小川の石橋(古橋)巾四間(7.27m)ばかり。枝馬場郷の限り。長崎市中、新大工町入り口の木戸、八月十九日の測り初めのの印に繋げて終る。街道一里一十七町二間(5,785.45m)。

 長崎村の庄屋森田貞六宅(現在の桜馬場中学校)で昼休み。それより長崎炉糟町(長崎市炉粕町)大同庵へ九っ時頃(午後0時頃)に着く。

背景の地図は、国土地理院長の承認を得て、同院発行の2万5千分の1地形図を複製したものです。
※国土地理院承認番号 平14総複、第253号 平成14年10月9日
薄塚 (写真1) 日見峠・八朔日拝み(2000/8/29) (写真2)
日見峠関所跡付近。
関所は切通しの真上にあった。(写真3)
現在の日見峠切り通し (写真4)
芭蕉塚 (写真5) 一ノ瀬橋と右は蛍茶屋。
ライデン大学所蔵の古写真。 (写真6)
一ノ瀬橋と右は蛍茶屋跡。
現在の写真。 (写真7)
長崎街道終点。
長崎市中測量開始イの地点 (写真8)

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