○島構築・島姿 (大正 ??)

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写真
《 高島炭坑(Takashima Colierry)  端島(Hashima) 》  <所有絵葉書>
 こちらも大きな煙突の数は2本です。山の上に神社の姿が見えるようですが、30号棟の姿は見えないので、大正初期の頃の光景かと思います。

写真左絵葉書の部分拡大
 閉山時に30号棟が建っていた場所周辺の拡大写真です。写真の中央には、第三竪坑櫓と船頭長屋が重なって見えているように思いますが、いかがなものでしょうか?。


写真
《高島炭坑 高島二子島及ビ端島》<所有絵葉書> からの端島部分の拡大です。
 こちらの絵葉書も大正初期の頃の写真ではないかと思っています。30号棟は建っていませんので、その昔、船頭長屋があった場所で、閉山の頃には26号棟があった場所の建物も見えています。
 なお、写真拡大の影響もあるのかも知れませんが、護岸には白色の部分と黒色の部分とが入り交じっているようで、台風の傷跡か?、台風被害の補修跡ではないかと思いますがいかがでしょうか?。ちなみに、明治38年には 「怒濤襲来ノ為海岸数ケ所ノ石垣ヲ崩壊」(三菱社誌刊行会、『三菱社誌 二十』) 「台風により南部、西部が破壊され社宅38戸が流失」(記念アルバム”はしま”編集委員会、『”はしま” 閉山記念特集号』)の記録が残っています。


写真
《高島炭坑(Takashima Colierry)  端島(Hashima)》  <所有絵葉書>
 丸い枠の中に描かれている端島です。端島神社の右側斜め下ですが、閉山時に56号があった場所にも建物の姿が見えています。ちなみに、この年代の絵葉書になると当該建物は見えるようですが、明治時代の撮影と思われる「《グラバー資料アルバムより》<収蔵: 長崎歴史文化博物館>では当該建物は見えていないようです。


写真《高島炭坑(Takashima Colliery)  端島(Hashima)》
  <所有絵葉書>

 上段絵葉書と同じ写真を使用しているようですが、こちらの絵葉書の方が端島が若干大きく写っているようです。ちなみに、日給の姿は、まだ、見えておりません。


写真《長崎港外三菱端島炭坑及夕顔丸》
<所蔵: 九州大学 記録資料館>
 山の上に神社が存在しているようです。また、先々代の学校校舎らしき建物(閉山時に56号があった場所)も存在するように私には見えます。


写真《高嶋炭坑ゑはかき-上(旗亭武蔵野の広間)・中(端嶋)・下(旗亭菱屋及松月)-》
<所蔵: 九州大学 記録資料館>
 中央の写真が端島ですが、上段の絵はがきと同時期の端島かと思います。なお、絵葉書中の左上と右下の写真は端島ではないように思います。


写真
<出典:日本地理大系(改造社・昭和5年発行)>
 写真の説明には、「工夫、役員、商人等五百世帯、三千三百余名を居住せしめている。」や「平地には庭球コートも設けられている。」等の記載があります。ちなみに、私得意?の想像ですが、この写真を反転させたら、下段の絵葉書の光景となるかと思いますが如何でしょうか。


写真《長崎港外端島名勝 表海岸全景》  <所有絵葉書>
 この絵葉書と「日本地理風俗大系(新光社・昭和5年発行)」掲載の写真を見比べると、南部の建物の高さ等や南部の護岸の形(大正14年の護岸崩壊箇所)、また、石炭積込桟橋の形に少し違いがあるように思われ、こちらの絵葉書の写真は大正14年の台風により南部護岸が崩壊した時よりも少し前の撮影ではないかと思いました。
 なお、繰り返しとなりますが、左上の写真を反転するとこの絵葉書の光景になるかと思います。


写真《長崎港外端島名勝 表海岸全景》(部分)  <所有絵葉書>
 上段絵葉書に写る南部から「閉山の頃に坑木置場だった部分(旧第三竪坑巻座上屋南側周辺)」にかけての場所を拡大しました。


写真
《長崎港外端島名勝 裏海岸全景》  <所有絵葉書>
 まだ、18・19号棟が7階建てのようです。また、海水タンクの上には大きなコブ?みたいな物が見えますが、煙突からの煙でしょうか?。なお、大正14年に日給社宅前の護岸が台風により崩壊しますが、この写真の護岸は、崩壊後の補修された真新しい護岸ではないようなので、大正14年よりも前の撮影かと思われます。

写真
 左上の絵葉書を部分拡大してみました。


写真
《三菱鑛業株式會社高島礦業所端島坑》
  <大牟田市石炭産業科学館蔵、石炭時報第一巻より>

 大正14年の台風被災時の島の全景かと思います、日給社宅前の護岸が崩壊しているのが見えます。
   参考:台風等被災・48、51号棟付近(大正14年)

写真《三菱鑛業株式會社高島礦業所端島坑》
<大牟田市石炭産業科学館蔵、石炭時報第一巻より>部分拡大
 お寺から30号棟にかけての光景です。まだまだ、木造の建物が殆どです。


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