○30号棟が建つ前の光景
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《絵葉書・長崎外港端島炭坑納屋》 <長崎歴史文化博物館収蔵> 写真の上の方には縦向きに建物が4軒ほど並んでいて、その下のほうに横向きの建物も見えますが、これだけの広さがある場所となると南部方面ではないかと思います。
なお、写真右下の横向きの建物がある箇所は、縦の建物がある箇所と違って、少し高くなっているように思えますが、この箇所ぐらいに、後日、30号棟が建てられるのではないかと思います。
《大正初期の端島南部。国内最古の鉄筋コンクリートアパートとして知られる30号棟はまだ建てられていない(子供たちが大勢参列しており、小学校校長の法要と思われる》
<出典:『GREAT HASHIMA』 (片穂野与一氏所蔵写真)> 上段絵葉書とは反対側の島の南端からの撮影で、建物手前の空地の場所は閉山間際の頃にプールがあった場所と思います。また、写真中央の上の部分には、船頭長屋らしき建物が見えておりますが、その手前に30号棟の姿はなく、横に、かなり長い建物が見えております。
《大正初期の端島南部。海の向こうに野母半島が見える(子供たちが大勢参列しており、小学校校長の法要かと思われる)》
<出典:『GREAT HASHIMA』 (片穂野与一氏所蔵写真)>
上段写真と同じ時の撮影のようです。場所としては上段写真右側にある長屋の手前かと思います。かなり広い空地が存在していたようです。