小さくて、また、ピンボケ写真ですがご容赦をお願います。もう、30号棟南面外壁の崩落が始まっているようです。
また、南部の護岸ですが、護岸上部の中央から左にかけては、閉山の頃の護岸とは違うようです。以前、端島を研究なされていた方からは「1991(H3)年9月27日の大型台風19号で学校横をはじめ、昭和館横、31号前、南部プール付近の護岸が崩壊して翌年1991(H4)年始めに修復工事がなされました。」とのお話を伺ったことがありますので、その際に修復された護岸になるのでしょうか?。ご存知の方がいらっしゃいましたらお教え願います。
7階に残っていた手摺がなくなっています。
また、外壁の崩落は上段写真では6階全体と5階の上半分ぐらいでしたが、2008年には5階も全体が崩落しているように思われます。
なお、左写真に写る南部の護岸の内、護岸上部の中央から左にかけての真新しい護岸は1991(H4)年始めに修復工事がなされた箇所かと思いますが、もっと左側の護岸(写真には写ってない箇所)は
2006年9月17日に長崎県に上陸した台風13号により倒壊しています。
2008年からは変化がないように感じます。
なお、前回までは周遊船からの撮影で小さな写真しか撮れていませんでしたが、2009年から上陸観光が開始され、今回から大きめのサイズでの写真も撮れるようになりました。(但し、ピンボケは直っていません。)
2~4階の便所にある窓上部のコンクリート(赤色の丸印の箇所)崩落が目立ってきているように思います。
申し訳ありませんが、2011年撮影で拡大できる写真が見つからずに、上段写真から1年置いての2012年撮影写真です。
今まで、壁の崩落を確認してきた箇所ではありませんが、3階便所にある窓上部のコンクリート(赤色の丸印の箇所)崩落が顕著になってきています。
ちなみに、2012年(平成24年)は9月17日に最接近した台風16号の影響により、
ドルフィン桟橋から島に上陸した箇所の護岸が倒壊した年です。
1・2階部分の拡大ですが、写真右端の箇所ではたくさんの崩落物が積み重なっています。
変化を見つけることができません。
変化を見つけることができません。
2階部分の外壁(黄色の丸印の箇所)ですが、崩落の程度がひどくなっているようです。
3月の撮影です。2017年と比べて4階部分の外壁(赤色の丸印の箇所)が崩落していますが、下段写真のとおり、その年の2018年1月2日の時点では崩落していませんでした。また、2階部分の外壁(青色の丸印の箇所)も下の方を少し残して崩落しています。
1月2日の撮影です。
上段写真における「4階部分の外壁(赤色の丸印の箇所)」の箇所は、左写真では下の階の方になりますが、まだ、納戸部分の壁があって、その奥に机が見えています。
3月の撮影です。
こちらの写真においても、「4階部分の外壁(赤色の丸印の箇所)」の箇所は、左写真の下の階の方になりますが、納戸の壁が崩落し机が直視できています。また、3階と4階の間の梁や4階と5階の間の梁ですが、表面のコンクリートが崩落しています。
あと、4階部分の右端の柱と、その右側にある梁ですが、完全離れているように思われます。
なお、当該箇所の拡大版比較写真については
こちらをご覧願います。
ちなみに、2018年、
山道と65号棟7階等を連絡する階段が崩壊した年です。
2階部分の外壁(青色の丸印の箇所)の箇所は2018年も崩れていましたが、崩落の程度がひどくなっています。
←<3月12日撮影> < 写真提供 : 軍艦島デジタルミュージアム > 2020年の写真については
2020年撮影(その2)もご覧願います。
←<3月撮影> 左写真とは別角度からの撮影です。
2019年撮影の写真と比べて、赤色の丸で示した箇所の梁が落下していますが、2020年1月1日時点では下段写真のとおり落下していませんでした。
←<1月撮影> 梁に亀裂は入っていますが、どうにか持ち堪えています。
←<3月29日撮影> 遂に、この日がやって来ました。
ちなみに、長崎新聞(2020年(令和2年)3月31日)掲載の「軍艦島30号棟一部崩落 国内最古 鉄筋アパート」の記事には「崩落が確認されたのは27日。市世界遺産室によると、26日夜の強風が原因とみられる。」との記載があります。
←<3月29日撮影> 既に、建物内部では広い範囲で床が抜けるなどはしてはいましたが、遂に、外壁部分でも大きな落下が発生するようになりました。
←<3月29日撮影> 少し角度を変えての撮影です。
←<6月15日撮影> 南面の崩落個所(赤色の丸印で示した箇所)が少し広がっているのに加えて、西面の6・7階外壁及び屋上床の一部が新たに崩落(黄色の丸印で示した箇所)していました。その詳細については
こちらをご覧ください。
←<6月15日撮影> 西面だけの光景です。
←<6月15日撮影> 南面にて、3月29日撮影より後に崩落が確認された箇所を赤色の丸で示しました。
←<8月24日撮影> < 写真提供 : 軍艦島コンシェルジュ > 端島、特に30号棟の画像についてはその都度にネット検索を行っていますが、軍艦島コンシェルジュさんによる8月24日撮影の写真の中に気になる写真がありました。
左の写真がその写真ですが、見えている30号棟の大部分が東面で、右端に僅かに北面が見えていますが、黄色の丸印で示した箇所がこれまでの光景から変わっています。
←<8月24日撮影> < 写真提供 : 軍艦島コンシェルジュ > 黄色の丸印で示した箇所周辺の拡大画像となりますが、写真下段の方の梁が崩落しています。
ちなみに、軍艦島コンシェルジュさんによる5月21日撮影の写真では当該箇所の崩落はないようです。
なお、素人判断になりますが、東面の傷み具合もかなりひどいように思われますので、30号棟は目が離せない状態が続くかと思います。
←<8月29日撮影> < 写真提供 : 軍艦島コンシェルジュ > 青空が本当にきれいですね!!。
上段の8月24日撮影写真よりも30号棟の北面がかなり写っている写真です。30号棟の右側には26号棟(旧船頭長屋)が載っている石積擁壁がありますので、おそらくは、海上から見える最大限の30号棟北面の姿ではないでしょうか?。
←<8月29日撮影> < 写真提供 : 軍艦島コンシェルジュ > 北面の拡大画像になりますが、左端とその右隣の柱の痛みがひどいようように思います。
ちなみに、30号棟から26号棟(旧船頭長屋)側への連絡通路は、見た目、大丈夫なようです。あと、7階の窓からはかなり大きな木が見えていますが自然は本当に強いですね。
↓<8月29日撮影> < 写真提供 : 軍艦島コンシェルジュ > 左端とその右隣の柱の痛みがひどいと思われる箇所の拡大です。
でも、100歳を超える建物がこの程度の被害で済んでいることの方が私には驚きです。
←<9月9日撮影> < 写真提供 : 軍艦島コンシェルジュ > 建物の角から左側が西面で、右側が南面です。台風10号(9月7日最接近)被災にて、黄色の丸印で示した箇所(南面の3階と4階の間)の梁が崩落しました。
←↓<2月23日撮影>
←<8月1日撮影>
←<9月18日撮影> 2021年9月17日に接近した台風14号による被害状況の確認のための撮影です。
←<11月撮影> 久しぶりに間近から見る30号棟です。
←<11月撮影> 西面崩落個所の拡大です。上二層で階数でいえば6・7階部分の外壁が崩落しています。
←<11月撮影> 久しぶりに島内から撮影した写真の掲載です。いつの頃から目立ち始めたのかは不明ですが、黄色の丸印で示した箇所が気になりました。
←<11月撮影> よくぞ、持ち堪えてます。
←<11月撮影> 左端写真の上四層部分の拡大です。なお、当該箇所の以前との比較については
こちらもご覧ください。
←<11月撮影> 写真の大部分が30号棟の南面で、写真の右端部分が東面になります。第2見学所と第3見学所の中間あたりからの撮影です。
←<11月撮影> 写真の大部分が30号棟の東面で、写真の右端部分が北面になります。第1見学所からの撮影です。
←<1月撮影> 長崎市野母町にある長崎市軍艦島資料館の近くにての撮影です。
←<4月撮影> 久しぶりに野母崎の権現山展望公園からの撮影です。
←<9月撮影> 約半年ぶりに野母崎の権現山展望公園からの撮影です。
←<11月撮影> 周遊観光船からの撮影です。
←<1月撮影> 野母崎の権現山展望公園からの撮影です。
←<6月撮影> ドルフィン桟橋の方向からの撮影です。
←<6月撮影> 左上写真の右端部分の拡大になります。こちらの写真では、26号棟(旧船頭長屋)方向の4階と5階の間の梁が一部欠落しているのが分かります。
←<6月撮影> 南部からの撮影です。
←<6月撮影> 崩落が特にひどい部分の拡大です。
←<6月撮影> 三ツ瀬方向からの撮影です。
←<6月撮影> 崩落が特にひどい部分の拡大です。
←<1月撮影> 昨年6月撮影の写真 からの状況変化は特に見受けられないようですが、2021年11月撮影の下段写真と比較しますと、赤丸の箇所(6階の戸袋部分)の外壁が崩落していて、拙HPの写真では
2022年11月 ~
2023年1月 にかけての出来事となるようです。ちなみに、拙ページの30号棟南側(南部側)における
最初の崩落箇所 は、赤丸箇所の右隣住居とその下の階の戸袋部分のようです。
←<1月撮影> 30号棟南側(南部側)の上層階の光景です。床の崩落も目立つ30号棟ですが、最上階(7階)の便所右隣にある住居2軒分の床は抜けることなく存在しているようです。
ちなみに、30号棟の下に写っている建物は第二竪坑捲座のようです。
←<1月撮影> 外海側から見る30号棟です。30号棟西側(外海側)の崩落部分は分かりにくいですが、30号棟南側(南部側)の崩落部分は広範囲に渡っているのが分かります。
↑<1月撮影> 上段写真から30号棟南側(南部側)の崩落箇所周辺の拡大です。南側から東側にかけては内装がほとんど残っていないためか、遠くの景色がよく見えています。
←<1月撮影> 左写真から角度を変えて30号棟最上階部分の中を覗いていてみました。管理人の思い違いの節はご容赦いただきますが、写真中央にある赤い煉瓦構造物は、もしかしてもしかしたら「かまど」ではないかと思いますがいかがでしょうか?。
←<1月撮影> こちらも左写真から角度を変えて30号棟の中を覗いてみました。
管理人の思い違いの節はご容赦いただきますが、屋上から5階にかけて見えている煙道らしき構造物ですが、4階では天井部分に少し見えるだけで、大部分は煙道?がないため、その先の階段が見えています。また、4階の煙道?部分の端を拡大してみたところ、煙道の中は区切られているように思えました。
↑<1月撮影> 上段写真から少し角度を変えて見る30号棟西側(外海側)の光景です。6・7階の外壁が崩落しているため当該階の内部階段が見えています。煙道?はあまり痛んでないように見えていますが、ダストシュートは完全に剥がれ落ちているようです。
↑<1月撮影> 左写真の3~5階の部分拡大となります。30号棟では西側(外海側)の1~4階部分のみの箇所において、昭和20年代の終わり頃に
同潤会風出窓 が設置され、
他の場所と異なる形 となっており、こちらの写真でも同潤会風出窓の3・4階と同潤会風出窓ではない5階とでは開口部の形に相違があることが分かります。
なお、3・4階の同潤会風出窓の右側に位置する戸袋外壁の壊れ方がバラエティーに富んでいるようで、管理人が感じたままを以下に記載させていただきます。4階(中段の階)左側と右側の住居にある戸袋外壁は完全に崩落していて、中央の住居にある戸袋外壁は上半分が崩落し戸袋の中には骨組みだけの雨戸が残っているようです。また、3階(下段の階)左側の住居にある戸袋外壁は一部崩落してますが戸袋の中には骨組みに板が貼られた状態の雨戸が残っていて、中央の住居にある戸袋外壁も一部崩落ですが戸袋の中には骨組みだけの雨戸が残っているようです。そして、右側の住居にある戸袋外壁は完全に崩落しているにも関わらず、何かに引っかかっているのか、骨組みだけの雨戸が崩落せずに頑張っています。ちなみに、3階(下段の階)右側の住居にある戸袋外壁ですが、
2021年11月撮影の写真 ではほぼ残っていたようですが、
2022年11月撮影の写真 では崩落が始まっているように思われます。
←<1月撮影> 30号棟東側(砿業所側)の光景です。外壁はほぼ残っていますが、床がかなり抜けているようです。
←<1月撮影> 30号棟北側(26号棟(旧船頭長屋)側)の光景です。一番下の階の梁が崩落していて、その上の梁もかなり危険な状態のようです。
←<6月撮影> 今回、特に崩壊を感じた場所(屋上の穴)を黄色の丸印で示していますが、過去の写真を見てみますと
2023年6月撮影の写真 においても崩落が確認ができていました。
下段写真は左写真の黄色の丸印付近を拡大した写真となりますが、黄色の矢印の先の天井には穴が開います。また、写真左端のトイレ部分の柱には大きなひび割れが見受けられます。
←<6月撮影>