○台風等被災・南部付近(昭和31年)
*本HPの写真・図版等の転載・転用等を固く禁止します。
このコーナーは、昭和31年の台風9号(8月16日夜)及び台風12号(9月9日)の被災状況や、その後の復旧状況を記載しております。
<写真は島の先輩より> 崩壊当初の頃でしょうか。
<高比良勝義氏(元島民)撮影> 一番外側の護岸が崩壊して旧護岸がむき出しとなり崩壊しているのが分かります。撮影の時期としては、足場が出来て復旧作業着手の頃でしょうか。
なお、疑義は数多くあって確定はできませんが、この旧護岸は、
「埋立地所有認定願」(明治三十一年十二月十二日付け)時の護岸の可能性が強いのではないかと思いますが如何でしょうか?。
<高比良勝義氏(元島民)撮影> 護岸の基礎がかなり片付けられています。
<高比良勝義氏(元島民)撮影> 旧護岸の復旧作業光景です。また、第二竪坑捲座上屋の外壁も復旧工事中のようです。
<高比良勝義氏(元島民)撮影> 旧護岸復旧作業の島内からの光景です。
<高比良勝義氏(元島民)撮影> 旧護岸の崩壊箇所がコンクリート護岸にて復旧されています。
ちなみに、長崎民友新聞(昭和31年9月12日付)の一面に掲載された写真においても、旧護岸の復旧作業が完了しているようです。ついては、旧護岸の復旧作業期間は一月未満となるようです。
<高比良勝義氏(元島民)撮影>
旧護岸の復旧完了後の写真です。満潮時でしょうか?。
《昭和32年台風7号の災害復旧工事。》
<写真・説明は、「端島(軍艦島)」(平成16年)より高島町教育委員会の許可を頂き転載> 一部崩壊された旧護岸の復旧が完了し、引き続き、旧護岸よりも南側にあった護岸の復旧?(新設?)工事を開始した時の光景のようです。
《昭和32年台風7号の災害復旧工事、護岸基礎コンクリート打設工事。》
<写真・説明は、「端島(軍艦島)」(平成16年)より高島町教育委員会の許可を頂き転載>
左写真中央下部の拡大図に、相当する写真のようです。
《昭和32年台風7号(8月20日)の大波。昭和31年の台風9号で被害を受けた南部海岸の復旧工事中に襲来》
<写真・説明は、「端島(軍艦島)」(平成16年)より高島町教育委員会の許可を頂き転載>
<写真は島の先輩より> おそらく、左写真と同時期の撮影と思いますが如何でしょうか??。
<写真は島の先輩より> 写真のタイトル等が不明で確証はありませんが、護岸の色に相違がありますので、復旧工事が完了間もない頃の光景ではないかと思います。
<写真は島の先輩より> 閉山後の人がいなくなる直前の頃の光景です。一番手前にある瀬のような塊ですが、おそらくは昭和31年の台風で崩壊した護岸の一部ではなかったでしょうか?。南部の護岸上から眺めた記憶があります。
<2004年3月27日撮影>
写真中央に色の境目が見えていますが、左側の護岸が復旧した護岸の箇所と思います。