○台風等被災・南部付近(昭和31年)
*本HPの写真・図版等の転載・転用等を固く禁止します。
このコーナーは、昭和31年の台風9号(8月16日夜)及び台風12号(9月9日)の被災状況や、その後の復旧状況を記載しております。
《 昭和31年、坑作の工作課営繕工場 》
《 工作事務所。s31.8.19 》 この建物が倒壊する前の姿は、
こちらの写真にてご覧願います。
写真中央部分の建物屋上では何人かの方が作業を行っているようです。
位置的には左写真中央部分になるように思います。
<内田好之、『燃ゆる孤島
軍艦島22年間の思い出』、株式会社文芸社、2016年3月、112~114頁>には、上記建物の倒壊状況について以下の記載があります。
- 昭和三十一年(一九五六年)八月十六日、稀に見る大型台風九号の発生が報じられた。会社へ早めに出勤し、関係者で対策等について討議した。
- 海の様子が確認できる所へ行こうと、庶務課の事務所へ移動した。この建物は鉄筋コンクリート造の二階建てで、一階は工作課の電気工場で二階が庶務課と鉱長室が隣接しており、先端部が工作課営繕工場となっている。
- 深夜一時頃、風も海も最高に激しさを増し、この建物にも異常とも思える波の打ち寄せる音と振動が伝わってきた。そこで海の状況を確認するため、四人で営繕工場へと移動した。
- 三十分近く波の状態を観察している最中、突然、天井と床面が不気味な音と共に壊れ、遊園地にある滑り台のように圧(へ)し曲がったのである。みんな必死に逃げた。私が逃げる時、転んで足を擦り剥いたぐらいで、皆、無事だった。
| 同書114頁に掲載の図面には、砿長室と営繕工場の境から営繕工場側が倒壊した旨の記載あり |
- 建物の崩壊の原因を私なりに調査したところ、護岸の躯体を支えている根巻きコンクリート部が波で破壊され、建物を支持している土砂が流失したため、建物が宙吊りの状態となり、その重量を支えきれなくなり、建物の間仕切り部で圧(へ)し曲がった訳である。
- その時、発生した不気味な音は、屋上スラブと床の配筋である上端筋が一瞬にして引き千切(ちぎ)られた際に発した音であった。百四十本以上の鉄筋が瞬間に引き千切られた時の音は、文字では表現できないすさまじいものだった。
なお、同書133頁には、平成二十五年(二〇一三年)のこととして「台風による倒壊時に必死で逃げ出した建物の一部が残されており」との記載があり、建物は全壊ではなく、一部は後年も使用されたようで、その部分が写っていると思われる写真を以下に掲載させていただきます。
また、
こちらの写真 は、もしかしたら、倒壊前の写真ではないかと思えますが如何でしょうか?。
《 工作工場附近。s31.8.19 》
《 破壊された事務所。s31.8.19 》
タイトルは見受けられませんでしたが、右側の建物は、第二竪坑捲座の上屋だと思います。なお、このページには「s31.8.19」の日付の写真が複数でてきますが、もしかしたら、その前後に撮影された写真もあるではないかと思っています。
《 工作工場附近。s31.8.19 》 写真中央部の建物が第二竪坑捲座の上屋です。こちらの写真のタイトルにもすぐ上の写真と同様に同じ「s31.8.19」の日付がありますが、壁面の状態の違いから撮影月日は違っているようで、
《 第二竪坑捲座上屋変遷 》の写真群より、こちらの写真はs31.8.19撮影ではなく、もっと、後日の撮影のように思います。
<高比良勝義氏(元島民)撮影>
閉山の頃、南部のプール横にあったトイレぐらいの場所からの撮影でしょうか?。
<高比良勝義氏(元島民)撮影>
左写真の撮影場所から、少し、野母崎方向に移動しての撮影のようです。