○坑 内(坑内の状況)

*本HPの写真・図版等の転載・転用等を固く禁止します。

〔 明治から大正にかけての情報 〕

  • <大蔵省印刷局 [編]『官報』1887年08月30日,日本マイクロ写真 ,明治20年. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2944486/1/4 コマ番号4 三四三頁 (参照 2024-05-28)>の「端島炭坑浸水ノ状況」には、「元来坑内溜水ノ一時ニ暴出シタルハ該島ニ数箇所ノ舊坑アリテ其新坑ト相接シタル場所ニ於テ新舊両坑間ノ炭壁俄然崩壊シ為ニ舊坑ノ溜水新坑ニ噴出シ両坑内ニ満盈シタルモノ」の記載があり、明治20年の時点で、既に、新舊と呼べる坑道があったようです。

  • 端島坑内排水喞筒等電気設備ニ変更
    高島炭坑端島坑内排水喞筒及捲揚機械作業ヲ電気設備に変更セントシ、実地調査ヲ遂ゲ見積書ヲ作製シ、予算総額金貳拾五萬六千七百九拾六圓拾貳銭ヲ計上ス、而シテ工事ノ第一着手トシテ排水喞筒変更作業ヨリ開始スルコトトシ、予算工費金拾四萬五千四百貳拾五圓貳拾四銭ヲ支出ス
    <以上、「三菱社誌刊行会、『三菱社誌 21』、財団法人 東京大学出版会、昭和55年復刊、954頁」の「社誌第十四巻 明治四十年」より>

  • 二月十二日 端島坑坑内燃焼
    高島炭坑端島坑第三坑右十八片一丈炭層三日以来自然燃焼ノ為薫臭アリ、遂ニ煤煙ヲ認ムルニ至リ燃焼局部ヘノ通風量ヲ減ジ、坑外ヨリ海水ヲ注入シ消火ニ力メ、十二日ニ至リ熱気漸ク去リ、注水ヲ停止ス、此間溜水部ハ既ニ採炭終了ノ個所ナルヲ以テ出炭上ニ影響ヲ及ボス所ナク平常ノ如ク採炭ニ従事セリ
    <以上、「三菱社誌刊行会、『三菱社誌 21』、1145頁」の「社誌第十六巻 明治四十二年」より>

  • 排水法
    當坑は両島共に海下の採炭業に従事せるに拘らず、排水の著しく多量ならざるは寧ろ以外の事なりとす。直高約二百尺毎に喞筒座を設け、高島にては之に数臺の汽筒徑十八吋「スペシヤル」喞筒各二臺、又は同種小徑の喞筒を適宜に配置し蒸気力に依て揚水を行ふ。端島は其始め蒸汽力を用ひしも、現今は第二坑底に設置せる複汽筒三十四吋「ウオーシントン」喞筒三臺を残して、他は全部卅馬力及び十五馬力「モートル」直結「タルビン」式喞筒に変更せり、此の原動力は坑口附近の発電所に設置せる、緩速度汽機直結電圧五百「ボルト」、直流三百「キロワツト」発電機二臺によりて供給す。一分時間の排水は、高島廿六立方呎、端島七十立方呎なり。
    <以上、「高野江基太郎、『増訂再版日本炭礦誌』、高野江基太郎、明治44年、第二編93頁」より>

  • 四月三日 端島坑直流電動機ヲ交流ニ取替
    高島炭坑端島坑ニ於テ坑内外直流電動機ヲ交流電動機ニ取替中ノ處全部終了シ、四月三日ヨリ三百「キロ」発電機不用トナリ停轉ス
    <以上、「三菱社誌刊行会、『三菱社誌 29』、4437頁」の「社誌第二十五巻 大正七年」より>

〔 坑道等の深さ 〕

掲載できている情報はほんの僅かですがご容赦をお願います。なお、下記の内容は同時期に存在したものばかりではなく、時代により異なる状況でした。

●三ツ瀬区域以外(採炭方法

深さ坑道等名設備・機能等名出来事等内          容参考資料
-36m第一立坑------※2-193頁
---稼業炭層・廃坑明治期の稼行炭層は,第一坑が上八尺層 第一坑は明治30年3月坑内火災を起こし,消火水没のため廃坑となり,以後閉山まで,上八尺層は昭和5年および戦後の探炭を除き,採掘されることはなかった※2-207頁
---大正時代、坑底水没・埋没
竪坑口ヨリ直徑
二十一間地下
一片盤------竪坑口ヨリ直徑二十一間地下ノ一片盤
-162m第ニ立坑
(当初)
------※2-194頁
---稼業炭層明治期の稼行炭層は,第ニ坑が胡麻五尺層※2-207頁
-198m第三立坑------※2-194頁
---稼業炭層明治期の稼行炭層は,第三坑が磐砥五尺層および一丈層(高島の十八尺層のうちの上層一丈層に当たる),三尺層(薄層のため採掘することは希であった)※2-207頁
不明上層開発計画------昭和31年に,第四立坑坑口付近にあった旧上八尺層の沿層を取明け,疎水卸を開削して海水の浸入を大部分-35mの位置で揚水し,さらに第四立坑底(-349m)レベルよりボーリングによる水抜きを図ったが、いずれも不調に終わった。 ※2-392頁
-348.7m
(平均海面下)
第四立坑底
(上部1片坑道)
------※2-392頁
---開削時情報
-350m付近---採掘年代明治30年までに-350m付近まで採掘※2-391頁
-555m上部11片------※2-387頁
-606.0m
(平均海面下)
第二立坑底
(3片坑道)
------※2-392頁
---掘り下げ時情報
------第二立坑底レベルは-606mで、第二立坑の深さは636mとなっていますが、その差の部分はテールロープが入る場所とのこと。※島の先輩より
スキップ卸、中卸---坑底坑道の水準は-606mで、この水準よりスキップ卸(傾斜47°)及び中卸(傾斜25°)が掘さくされている※3
---被災時の稼行レベル及び水没状況被災時の稼行レベルは-710m(5盤下)で,-605m水準の3盤下直下まですべて水没した。※2-344頁
S20の出来事
-650m4片坑道------※2-387頁
4盤下------※2-341頁
硬の積込み---坑内岩石掘進硬を3盤下坑内クラッシャーで粉砕するほか,坑外選炭場からの水洗硬をポケットに貯蔵し,4盤下で積込み各払に供給していた。※2-341・342頁
-710m5片坑道---採掘年代昭和23年の採掘レベルは5盤下(-710m)※2-387頁
5盤下------※2-341頁
-770m6片坑道---採掘年代昭和27年の採掘レベルは6盤下(-770m)※2-387頁
6片チップラー ---
-820m7片坑道---採掘年代昭和33年の採掘レベルは7盤下(-820m)※2-387頁
7片チップラー ---
-880m8片坑道------※2-387頁
8片---自然発火・水没昭和39年(1964) 自然発火(8片以深水没,深部放棄)※2-527頁
-940m9片坑道------※2-387頁
------深部放棄時に採炭中だった箇所※2-388頁
------放棄時の9盤下(-940m)の作業条件は岩盤温度(地熱)50℃,気流温度31℃,採炭現場では冷房機を使用しても30℃湿度95%(通気量250㎥/min,カタ度8.0)という極めて厳しいものであった※2-391頁
-1,010m10片坑道------※2-387頁
------深部放棄時に展開中だった箇所※2-388頁
-1,080m11片坑道------稼行箇所は既に九片深度940mに達しているが、切羽温度等作業環境の面より採掘可能限度を一応十一片深度1080m迄と考えているので、代替切羽として三瀬開発工事に昭和36年度より着手している※3
〔11片坑道はあくまでも予定で実存せず〕
-1,200m以深端島沖区域------昭和28年ごろより端島沖区域に対し開発調査を実施してきた※1-556頁
------端島沖断層先区域への探炭は40年10月から二坑底-606mレベルで本連2本の坑道の掘さくを開始し,やがて端島沖断層を突破し,約1,200mで43年度に着炭予定である※4
------
  • 次期稼行区域として昭和40年度から開発に着手し,探炭坑道掘進中の端島沖区域は,調査の結果炭層が深度1,200m以深に賦存し,到底稼行の対象となり得ないことが判明した。そこで45年3月その区域の開発を断念した
  • 同年9月17日に妥結し,この結果端島は現稼行区域の三ツ瀬区域の残存炭量約200万tを有利採掘して閉山するとの基本路線が確定した
※1-918頁
---各種情報
※1<三菱鉱業セメント(株)総務部社史編纂室、『三菱鉱業社史』、三菱鉱業セメント(株)、昭和51年>
※2<三菱鉱業セメント(株)高島炭砿史編纂委員会、『高島炭砿史』、三菱鉱業セメント(株)、1989年>
※3<三菱鉱業株式会社高島礦業所概況案内(昭和40年4月)>
※4<山本ほか、高島炭田三ツ瀬および端島沖海域の探査、鉱山地質、第17巻第84号別刷、1967年>


●三ツ瀬区域(各種情報採炭方法1採炭方法2

深さ坑道等名各 種 事 項
内            容参考資料
-150~-383m海底下浅部区域海底下浅部区域(-150~-383m)で多段累層採掘(4~8段)を実施※2-438頁
閉山直前の状況※2-446頁
-295m水準上一片※1-731頁
-340m三ツ瀬本坑道2,345m※2-392頁
0片レベル※2-439頁
-383m1片坑道浅部移行速度のスローダウンを図り,また当区域の実収炭量の増大を図るため,0片レベルから深部へ1片盤移行したが(1片坑道のレベルは-383m)※2-439頁
参考資料は こちら を参照


●参考: 「閉山・総員退艦」への過程


〔 各種 写真・情報 〕

●坑道写真

写真
<写真は、祖父・父が端島に住んでおられた方より>
 写真にタイトルの記載はなく端島の坑内でない可能性もありますが、アルバムの内容から端島の坑内である可能性が高いと思い掲載していますので、誤報の際はご容赦願います。
 また、写真に写る坑道の説明ではない場合もありますが、<三菱鉱業セメント(株)総務部社史編纂室、『三菱鉱業社史』、三菱鉱業セメント(株)、昭和51年、707頁>には、「昭和10年ごろから端島,勝田,高島等の立坑坑底坑道において,煉瓦巻支保に代わって場所詰めコンクリート支保またはコンクリートブロック支保が行われた。」との記載があります。

写真
<出典:「寫眞週報」178号(昭和16年7月23日発行)>
 写真の説明には、「海底下二千尺の坑内から炭車がワイヤーで引きあげられる」とあり、また、本文中には、「端島坑には日本一深い二千尺の竪坑」の記載があります。


写真
<写真は島の先輩より>
 二坑底坑道の光景です。

写真<写真は島の先輩より>
 二坑底坑道の光景です。


写真
<写真は島の先輩より>
 二坑底の光景です。


写真
<写真は島の先輩より>
 二坑底ポンプ座の光景です。
 「三菱鉱業株式会社高島礦業所概況案内(昭和40年4月)」には「海底炭礦であるが湧水量は比較的少なく、現区域よりの湧水は2.6m3/min程度で一年を通じて安定しているが開発中の三ツ瀬区域の湧水は漸次増加し4.5m3/minに達している。」との記載と、下記「主要排水設備」の表が記載されています。

《 第14表 主要排水設備 》
箇所名設     備排水能力
馬力×台数仕   様
四坑底290kw×1台
600×2
2.83m3/min×366m
6.00×400
10"×3系統 10m3/min
二坑底225×32.83×30010"×2 5
六片150×1
82×2
2.83×200
1.75×190
8"×1 5
6"×1 
九片82×21.60×2006"×1 2
<「三菱鉱業株式会社高島礦業所概況案内(昭和40年4月)」より>
 ちなみに、「三菱高島礦業所 端島坑概要 (昭和12年10月)」 の坑内作業の排水の項には「現在出水量は毎時約300立方米にして之がため第二竪坑底に300HP.ポンプ 3 臺を備へ第四竪坑底に揚げ之より385HP.ポンプ 3 臺を以て坑外に揚水す,之に要する電力量月90萬KWHに達せり。」の記載があり、揚水経路がお分かりいただけるかと思います。


《 三菱鉱業における採炭機械導入状況 》

炭砿名採用年月機     種備    考
端 島昭和26年ジブカッター試験的
   40年10月ドラムカッター(三作製MCLE
120-DH5452型ヘリカル
零片磐砥五尺層上段払
(注)備考欄の払名は当該炭砿において最初にカッターを導入した箇所を示す。
<「三菱鉱業セメント(株)総務部社史編纂室、『三菱鉱業社史』、722・723頁」より抜粋>


《 昭和35年度末の払状況 》

炭砿名稼働払数鉄柱
使用本数
カッペ
使用本数
カッター
使用台数
ホーベル
使用台数
1払1日平均
出炭(t)
高 島64,8835,33502465
端 島70000116
<「三菱鉱業セメント(株)総務部社史編纂室、『三菱鉱業社史』、726頁」より抜粋>

 端島の鉄柱使用本数が0本となっていますが、昭和40年代頃には南部に「鉄柱工場」がありましたし、三ツ瀬区域の採炭方法等の説明には「油圧鉄柱」の言葉が出てきますので、もしかしたら、端島では三ツ瀬区域からの採用でしょうか?。


●坑内における石炭運搬の変遷等について
  • <三菱鉱業セメント(株)高島炭砿史編纂委員会、『高島炭砿史』、342頁>には、「石炭の運搬は切羽内は自走,片盤および立入は1t鉄製炭車手押し,盤下坑道はエンドレス,斜坑巻にて3盤下坑道(-605m)に巻上げ,電気機関車牽引により二坑立坑に至る段つぎであった。しかし,スキップ巻完成後は,次のように機械化・合理化された。
    切羽(自走)→片盤・立入(チェーンコンベヤまたはパンツァコンベヤ)→盤下坑道にて炭車積込みバッテリーロコ運搬→チップラー→ポケット→スキップ→二坑底3tサンフォード底開き炭車→第二立坑→坑口」との記載があります。
  • <三菱鉱業セメント(株)高島炭砿史編纂委員会、『高島炭砿史』、522頁>には「昭和12年1937 端島坑,スキップ卸工事着手」の記載があり、<三菱鉱業セメント(株)総務部社史編纂室、『三菱鉱業社史』、740頁>では「コース巻の使用範囲は傾斜5~25°であって,これ以上の傾斜層においてコース巻を行うためには,巻卸を偽傾斜に取らなければならないが,斜坑が長くなって運搬能力は減少するので,この欠点を除くために,斜坑を炭層傾斜に掘鑿し,炭車の代わりに大容量のスキップを用いて石炭を専用に巻上げるスキップ巻が考えられ,社内炭砿では昭和18年2月大夕張(炭層傾斜25°),24年端島(炭層傾斜40°)で採用された。」の記載があります。
  • 長崎民友新聞(844号・昭和24年4月9日号)には、「スキツプの捲揚角度は四十七度、この傾斜を石炭を二トンも積んで引あげる大きなボート型のものだ」の記載があります。
  • 「三菱高島礦業所 端島坑概要 (昭和12年10月)」の運搬の項には「傾斜強きを以て切羽運搬は簡単なる鐵樋を布設し自然滑降によりて行ふ。
     片磐運搬は従来主として炭車に依りたるも本年四月よりパネル内はコンベヤーに依る事とせり,即ち払片磐,沿層坑道にはチェーンコンベヤーをクロスカット及び磐下坑道にベルトコンベヤーを布設し払出炭は之に依りて一先ずポケツトに入れ下の磐下坑道に於いて積込を行ふか同水準の磐下坑道に於いてベルトコンベヤーより直ちに炭車積を行ふ事とせり。
     現在使用せるポケツトは傾斜約 50°60瓲~100瓲の容量を有し積込口には小型捲機を備へ,炭車は列車の儘移動しつゝ積込を行ひ之を電車にて竪坑底に運搬す。電車はパンタグラフを有する複線架空式 5 瓲車 3 臺を有す。」との記載があります。


《 巻上機一覧(在籍数) 》

炭砿名昭和27年3月32年3月36年3月40年3月44年3月
台数出力(HP)台数出力(HP)台数出力(HP)台数出力(HP)台数出力(HP)
高島111,860123,445195,415157,0002616,860
端島113,87073,41073,12073,32052,350
<「三菱鉱業セメント(株)総務部社史編纂室、『三菱鉱業社史』、743頁」より抜粋>
・斜坑および立坑の巻上機の在籍台数および総出力
・昭和32年3月以降は50HP以上。


《 機関車使用台数(昭和35年度末) 》

写真
左表は、<三菱鉱業セメント(株)総務部社史編纂室、『三菱鉱業社史』、738頁>にある「表94 社内炭砿における機関車使用台数(昭和35年度末)」より、高島、端島のデータを抜粋して引用しています。

 昭和35年度末の記録ですが、閉山の頃の台数がどのようになっていたのか気になります。なお、高島では圧縮空気機関車も使用されています。


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