○2号棟

 最終の2号棟 : 昭和25(1950) 鉄筋コンクリート造3階 職員住宅
*本HPの写真・図版等の転載・転用等を固く禁止します。

写真
<先代>
《長崎港外端島名勝 金比良神社》  <所有絵葉書>
 神社の右手に、先代の2号棟が木造の姿で見えています。島の先輩によりますと、二段構造になっていたようで、上の段となる金毘羅さんの階段途中からでている橋台の上には平屋の二軒長屋があり、橋台の下には、左側に石段を上がる平屋、右側には二階建ての家屋があったそうです。
 なお、橋台下の様子は、左側の家は家の前が廊下で、多分、3mぐらい置いて、右側の家で、橋下の部分はベランダになっていたそうです。(写真では、板塀で隠れているそうです。)


写真
<先代>
《三菱高島礦業所 端島坑金比羅神社》  <所蔵: 九州大学 記録資料館>
 上段写真の説明にある、橋台下の左側に石段を上がる平屋の様子がお分かりいただけるのではないかと思います。<阿久井喜孝 他、『軍艦島実測調査資料集【追補版】』、東京電機大学出版局、2005、144頁>に掲載の写真751では、「(1949)現在の2号棟の基礎工事中」の説明があって2号棟の場所には建物がない状態が写っていますが、橋台下の左側の家だった場所となる箇所にはかなり広い石積が見えています。
 なお、左写真にも上段写真同様に先代の神社が写っていますが、撮影はこちらの方が後になるようで、鳥居の数が二基から一基に減っていて、上段写真同様に閉山時にあった慰霊碑の姿は見えないようです。(昭和10年の端島神社焼失時の写真には慰霊碑らしき姿が写っています。)
 ちなみに、左の写真では19号棟の姿が見えていませんので、19号棟が9階建てに増築され2号棟近くまで延伸される前(6階建てで建物も短かった時)の光景ではないかと思いますが、如何でしょうか。


写真<最終>
<写真は、祖父・父が端島に住んでおられた方より>
 2号棟がコンクリートの建物に替わっています。また、神社下の閉山時に温室があった場所には水タンクがあります。なお、閉山時にあった慰霊碑が見えないようなので、昭和20年代後半から30年代中頃までの光景かと思います。

写真<最終>
<左写真は、長崎市高島町にある「端島模型」より>
 写真中央の建物が2号棟で、手前が19号です。2号棟の先には第四竪坑櫓、左側には神社、そして右側には3号棟や14号棟が写っています。


〔 閉山後の光景 〕

写真 2004年撮影で、野母崎方向からの撮影です。先代は屋根が神社より低いですが、最終は3階建てとなり神社とほぼ同じ高さとなっています。


写真
 島を周遊する時の光景で、岩礁の上から、少し、顔を覗かせた2号棟です。ちなみに、左の建物が3号棟です。

写真 写真枠いっぱいに2号棟を拡大しました。住居部分はほとんど吹き飛んでいて、住居空間の先には、建物の先の青空が見えています。


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