○電力事情

*本HPの写真・図版等の転載・転用等を固く禁止します。

〔 概 略 〕

 下段に掲載の〔簡易年表〕〔交流60Hz化〕などからの要約ですが、端島電力事情の概略を記載させていただきます。
 端島は明治33年に直流30kw発電機を設けて坑内外点燈を開始しますが、その開始時期は横島と同じで明治35年開始の高島よりも早いものとなっています。更に、明治43年には端島坑の動力電化を開始するために、直流550V,300kw発電機を既設の電灯用発電所とは別位置の東南海岸( おそらくは第二坑附近 )に設けて、ここに電灯用発電設備も集約移設されます。
 なお、交流転換に際しては、端島は土地が狭く、増設の余地がないために、高島二子発電所から海底ケーブルによって送電することとなり、 海底ケーブル1号線が大正6年5月16日に敷設 されて、同年12月21日に端島への交流送電が開始され、翌年にはモーター全部の交流切替えや昼間点灯の交流化が完了したために直流発電機は不用となって運転停止となり、大正9年の海底ケーブル増設完了をもって端島発電所は廃止され端島変電所となります。また、交流の周波数については〔交流60Hz化〕に掲載の経緯があって、60Hzに落ち着くのは昭和34年のことになるようです。
 ちなみに、海底ケーブルは端島閉山時点で9回線で、その昔は、 端島の坑内と二子島の坑内を連絡して、その中に端島への送電線を設ける計画 もあったようですが、残念ながら実施には至っていません。
※高島の「電力事情」については こちら をご覧ください。


〔 簡 易 年 表 〕

明治33年6月、端島は横島とともにアメリカのGE社製の30kw直流発電機を設置して、坑内外点燈を開始
<三菱鉱業セメント(株)高島炭砿史編纂委員会、『高島炭砿史』、三菱鉱業セメント(株)、1989年、208頁>より なお、278頁には9月とあります
明治42年島内各戸の点燈が普及する
<三菱鉱業セメント(株)高島炭砿史編纂委員会、『高島炭砿史』、三菱鉱業セメント(株)、1989年、211頁>より
明治43年3月,直流550V,300kw2台(常用1,予備1)が運転を開始した。これは,既設の電灯用発電所と別位置の東南海岸に設けられ,ここに電灯用発電設備も集約移設された。なお,端島では,ボイラーはランカシャー型のままで経過した。
<三菱鉱業セメント(株)高島炭砿史編纂委員会、『高島炭砿史』、三菱鉱業セメント(株)、1989年、280・281頁>より
※1<高野江基太郎 著『日本炭砿誌』,高野江基太郎,明41.9. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/847449/1/229 コマ番号229 四二一頁 (参照 2024-05-28)>には「端島坑排水の動力及機械變更工事」として上記発電所関係と思われる記載があります。
5月1日、坑内排水電動ポンプ試運転(端島坑動力電化の始まり)
5月13日、端島発電所の直流300kw発電機使用認可(動力用)
<三菱鉱業セメント(株)高島炭砿史編纂委員会、『高島炭砿史』、三菱鉱業セメント(株)、1989年、518頁>より
直流300kw発電機2台を設備し、排水用にタービンポンプ(各ポンプ座に2台ずつ)、運搬用として電気巻揚機2台を新設した。
<三菱鉱業セメント(株)高島炭砿史編纂委員会、『高島炭砿史』、三菱鉱業セメント(株)、1989年、208頁>より
明治44年9月27日、第三坑の坑内電気巻上機落成認可
<三菱鉱業セメント(株)高島炭砿史編纂委員会編集、『高島炭砿史』、三菱鉱業セメント(株)、1989年、518頁>より
大正5年大正時代に入った時点では、端島発電所に設置された電灯用直流125V30KW3台と動力用直流550V300KW2台(常用1、予備1)により発電、操業していたが、大正5年、4階建が同年12月に完成(引き続き7階建てに増築)すると、昼間も点灯が必要な状況となったので、昼間点灯に30KW発電機の運転は不経済なので、30W1台を撤廃し、10KW1台を設置して昼間点灯用に用いた。
<三菱鉱業セメント(株)高島炭砿史編纂委員会、『高島炭砿史』、三菱鉱業セメント(株)、1989年、282頁>より
大正6年高島二子坑・蛎瀬坑の交流転換と並行して、当然端島坑の交流転換も考えられたが、端島は土地が狭く、増設の余地がないため、高島二子発電所から海底ケーブルによって送電することになった。二子の800KW1台増設に合わせて、海底ケーブル1号線が大正6年5月16日敷設され、同年12月21日に、端島への交流送電が開始された
<三菱鉱業セメント(株)高島炭砿史編纂委員会、『高島炭砿史』、三菱鉱業セメント(株)、1989年、282頁>より
高島炭坑二子発電所より端島に送電用海底「ケーブル」敷設を其筋より認可せらる、長崎支店胴船筑後丸に沈設装置を施し之を小蒸気船村雨丸に牽引せしめ・・・爾來天候引続き良好にて予定の進捗を見、7月全部落成す
<三菱社誌刊行会、『三菱社誌第二十四巻』、(財)東京大学出版会、昭和55年復刊>より
大正7年4月にはモーター全部の交流切替えが、翌5月、昼間点灯の交流切替えが終了した。海底ケーブルは負荷の増加と故障等もあり、端島閉山時点で9回線まで増えた、端島発電所は予備ケーブルの敷設後大正9年11月、廃止されている
<三菱鉱業セメント(株)高島炭砿史編纂委員会、『高島炭砿史』、三菱鉱業セメント(株)、1989年、282頁>より
5月、端島、電力の交流化完了、端島発電所直流発電機停止
<三菱鉱業セメント(株)高島炭砿史編纂委員会、『高島炭砿史』、三菱鉱業セメント(株)、1989年、519頁>より
高島炭坑端島坑ニ於テ坑内外直流電動機ヲ交流電動機ニ取替中ノ處全部終了シ、四月三日ヨリ三百「キロ」発電機不用トナリ停轉ス
<「三菱社誌刊行会、『三菱社誌 29』、財団法人 東京大学出版会、昭和56年復刊、4437頁」の「社誌第二十五巻 大正七年 四月三日 端島坑直流電動機ヲ交流ニ取替」>より
大正9年11月、二子~端島間の海底送電線増設が完成したため、端島発電所を廃止し、端島変電所とした
<三菱鉱業セメント(株)高島炭砿史編纂委員会、『高島炭砿史』、三菱鉱業セメント(株)、1989年、272頁>より
大正15年頃端島ハ「海底ケーブル」三條ヲ布設シ一條ヲ豫備トス
<高島礦業所槪要(大正15年10月)>より
昭和31年送電線ケーブル七本のうち六本を断たれ、一時は坑内にガスが充満して自然発火の危機に瀕したが、残る一本に送、排気の電力を託して待ちこたえる一方送電線の復旧作業に全力を傾けた結果、十日夕刻には故障線一本を修理して送電を開始、辛うじて危機を脱した。残りの故障線は十一日中に復旧を終わり、きょう十二日から採炭作業に取りかかる。
<長崎民友新聞(昭和31年9月12日)の台風12号記事>より


〔 島内受電送配電設備系統図(昭和44年) 〕

写真<図版は、阿久井喜孝 他 編著『軍艦島実測調査資料集』東京電機大学出版局(1984)より許諾を得て転載。>
 図面は「図版8-23 島内受電送配電設備系統図(昭和44年) 1/2000 (砿業所保管資料により図面作成)」です。高島からの海底ケーブルのほとんどは学校海岸より島に上陸しているようです。


〔 電力用海底ケーブル 〕

写真写真写真

《 3.500V 3x100平方粍 GRI 絶縁8粍鉄線鎧装海底線 三菱鉱業株式會社 ( 高島-端島間 ) 1954 》  <古河電気工業株式會社>
 1954年といえば昭和29年です。海底線の断面が見えるようにした文鎮らしきものです。


【 電力用海底ケーブル関係論文 】
https://doi.org/10.11526/ieejjournal1888.72.310
 〔 電氣學會雜誌 〕1952 年 72 巻 765 号 p. 310-312
   電力用海底ゴムケーブルの修理について
高島の二子発電所から端島への送電に用いられた海底ケーブルや九州電力からの受電のために用いられた岳路~二子間の海底ケーブルに関する論文です。


 

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