○高島電力事情

*本HPの写真・図版等の転載・転用等を固く禁止します。

〔 簡 易 年 表 〕

明治35年9月19日、高島尾浜、直流10kw発電機落成、坑外点燈
<三菱鉱業セメント株式会社高島炭砿史編纂委員会編集「高島炭砿史」三菱鉱業セメント株式会社(1989)p.517>より
尾浜で、GE社製直流110V,10kw発電機により、坑外点灯用に使用
<三菱鉱業セメント株式会社高島炭砿史編纂委員会編集「高島炭砿史」三菱鉱業セメント株式会社(1989)p.211>より
明治36年5月11日、蛎瀬、直流11kw発電機落成、坑内外点灯
<三菱鉱業セメント株式会社高島炭砿史編纂委員会編集「高島炭砿史」三菱鉱業セメント株式会社(1989)p.517>より
蛎瀬は、直流110V,11kw発電機により坑外内点灯を開始
<三菱鉱業セメント株式会社高島炭砿史編纂委員会編集「高島炭砿史」三菱鉱業セメント株式会社(1989)p.211>より
明治41年6月には2か所の発電所を廃止、蛎瀬発電所を新たに設置、30kw2台により、全島の社有建物に配線が及んだ、明治43年10月には島内点灯用30kw1台を増設した
<三菱鉱業セメント株式会社高島炭砿史編纂委員会編集「高島炭砿史」三菱鉱業セメント株式会社(1989)p.280>より
6月13日、蛎瀬発電所の直流30kw発電機使用認可(島内点灯用)
<三菱鉱業セメント株式会社高島炭砿史編纂委員会編集「高島炭砿史」三菱鉱業セメント株式会社(1989)p.517>より
明治42年11月18日、二子発電所の直流10kw発電機使用認可(点灯用)
<三菱鉱業セメント株式会社高島炭砿史編纂委員会編集「高島炭砿史」三菱鉱業セメント株式会社(1989)p.517>より
坑内外点燈用として、GE社製の直流110V,10kw発電機があり、明治42年12月より使用を開始した。その後45年9月に、斜坑12片目貫に20kw電動発電機を設置して、10kw発電機は停止した。
<三菱鉱業セメント株式会社高島炭砿史編纂委員会編集「高島炭砿史」三菱鉱業セメント株式会社(1989)p.211>より
明治43年二子坑電化の最初となった直流100kw,500V(動力用)の正式認可は4月26日である
<三菱鉱業セメント株式会社高島炭砿史編纂委員会編集「高島炭砿史」三菱鉱業セメント株式会社(1989)p.280>より
明治44年 2月24日、二子発電所の直流250kw発電機使用認可(水管式ボイラー、タービンの初採用)
<三菱鉱業セメント株式会社高島炭砿史編纂委員会編集「高島炭砿史」三菱鉱業セメント株式会社(1989)p.518>より
ランカシャー汽缶より熱効率が良く,高圧が得られるバブコック&ウィスコック水管式汽缶(蒸留水を使用)の使用を開始した。発電機も直流250kWタービン発電機2台の運転を開始した。これに伴い,従来の100kW発電機は改修の上,圧気機運転用電動機として使用。
<三菱鉱業セメント株式会社高島炭砿史編纂委員会編集「高島炭砿史」三菱鉱業セメント株式会社(1989)p.211>より
2月より運転開始した発電設備は,従来のランカシャー型・往復動汽機に代わって初めて水管式ボイラー,タービン発電機を採用した。ボイラーはバブコック&ウイルコック社製水管式2台で,タービンは三菱長崎造船所製パーソンス式2台,発電器も直流複巻式2台(250kW)であった。
<三菱鉱業セメント株式会社高島炭砿史編纂委員会編集「高島炭砿史」三菱鉱業セメント株式会社(1989)p.280>より
二子島新坑出水増加の為本春中電力排水の設備を拡張し、且水管式汽缶二台を増設
大正2年1月発電設備一式を増設して250kw3台とし、同4年10月の交流発電を始めるまで、直流による動力電化が進められた、こうして、二子坑の発電能力が増強された後、100kw発電機を蛎瀬に移し、大正3年6月より蛎瀬坑においても動力用の発電を始めた
<三菱鉱業セメント株式会社高島炭砿史編纂委員会編集「高島炭砿史」三菱鉱業セメント株式会社(1989)p.280>より
大正3年蛎瀬発電所へ二子より直流100kw発電機移設、使用認可(蛎瀬坑内動力電化)
<三菱鉱業セメント株式会社高島炭砿史編纂委員会編集「高島炭砿史」三菱鉱業セメント株式会社(1989)p.518>より
大正4年・10.26 二子発電所の交流の60Hz,500kW発電機仮使用認可,蛎瀬にも交流送電
・12.- 二子・蛎瀬の動力交流化終了,蛎瀬発電所(直流)廃止
<三菱鉱業セメント株式会社高島炭砿史編纂委員会編集「高島炭砿史」三菱鉱業セメント株式会社(1989)p.518>より
・二子交流60Hz 500kW発電機の運転開始に伴い,二子~高島間の海底ケーブルにより送電を受け,12月には坑内外ともすべて交流への切り替えを終え,蛎瀬の直流発電機の運転を停止した。
<三菱鉱業セメント株式会社高島炭砿史編纂委員会編集「高島炭砿史」三菱鉱業セメント株式会社(1989)p.265,266>より
※管理人記載 大正4年時点の二子島と高島の間は、 まだ、海だった時代 ですので、海底ケーブルによる送電となっているようです。ちなみに、 二子島から端島への送電開始は大正6年 となりますので、端島よりも早い時期での海底ケーブル使用となっています。
・大正4年10月26日付けで,交流発電設備が仮使用認可を受けたが,500kW2台であった。その仕様は,ボイラー2台(ネスドラム水管式加熱器付),タービン2台(パーソンス式,740馬力),発電機2台(3相交流式,60Hz,500kW)である。
<三菱鉱業セメント株式会社高島炭砿史編纂委員会編集「高島炭砿史」三菱鉱業セメント株式会社(1989)p.281>より
大正6年9月28日、二子発電所の交流50Hz,800kw発電機仮使用認可
<三菱鉱業セメント株式会社高島炭砿史編纂委員会編集「高島炭砿史」三菱鉱業セメント株式会社(1989)p.519>より
大正7年2月27日、二子発電所の60/50Hz電動500kw周波数変換機使用認可
5月29日、二子発電所の交流50Hz1,000kw発電機仮使用認可
<三菱鉱業セメント株式会社高島炭砿史編纂委員会編集「高島炭砿史」三菱鉱業セメント株式会社(1989)p.519>より
大正9年2月26日、二子発電所の交流3,000kw発電機完成
<三菱鉱業セメント株式会社高島炭砿史編纂委員会編集「高島炭砿史」三菱鉱業セメント株式会社(1989)p.520>より
大正12年4月27日、二子発電所の3,000kW2号機完成
<三菱鉱業セメント株式会社高島炭砿史編纂委員会編集「高島炭砿史」三菱鉱業セメント株式会社(1989)p.520>より
大正15年頃發電機(汽力)
 交流 三千「キロ」    二臺
 仝  八百「キロ」    一臺
 直流 二百五十「キロ」  二臺
 仝  三十「キロ」    一臺
<高島礦業所槪要(大正15年10月)>より
昭和14年11月、二子発電所の7,000kw発電設備が常用機として使用を開始、3,000kw2機を予備機とした
<三菱鉱業セメント株式会社高島炭砿史編纂委員会編集「高島炭砿史」三菱鉱業セメント株式会社(1989)p.283>より
昭和20年7月31日 空襲により発電所その他施設に被害
8月19日 発電所一部復旧、発電再開
<三菱鉱業セメント株式会社高島炭砿史編纂委員会編集「高島炭砿史」三菱鉱業セメント株式会社(1989)p.522>より
9月 三千キロ発電機が復旧
12月 七千キロ発電機が復旧
<松尾兼治氏編集「高島町文化史」高島町(昭和24年1月1日初版発行、平成7年3月31日改訂版発行)p.4>より
8月19日 旧発電所のボイラー2台と3,000kW発電機1台が運転可能
10月 旧発電所のもう1台の3,000kW発電機も復旧,3,000kW2台の並列運転
12月 新発電所7,000kW発電機も配電盤他の復旧を待って,12月から運転が再開
<三菱鉱業セメント株式会社高島炭砿史編纂委員会編集「高島炭砿史」三菱鉱業セメント株式会社(1989)p.311・312>より
昭和23年1月20日、岳路~二子間の受電設備竣工(2月24日より受電・自家発並列運転)
<三菱鉱業セメント株式会社高島炭砿史編纂委員会編集「高島炭砿史」三菱鉱業セメント株式会社(1989)p.524>より
昭和26年11月13日、二子発電所の3,000kwイグナイトロン(周波数変換器)使用認可
<三菱鉱業セメント株式会社高島炭砿史編纂委員会編集「高島炭砿史」三菱鉱業セメント株式会社(1989)p.525>より
昭和30年11月、岳路~二子間に直流送電試験用海底ケーブル布設
<三菱鉱業セメント株式会社高島炭砿史編纂委員会編集「高島炭砿史」三菱鉱業セメント株式会社(1989)p.526>より
昭和34年10月、二子発電所の7,000kw発電設備を60Hzに改造完成により、サイクル変更(50→60Hz)完了
<三菱鉱業セメント株式会社高島炭砿史編纂委員会編集「高島炭砿史」三菱鉱業セメント株式会社(1989)p.526>より
新立坑計画によって坑内骨格構造が一新されたことに伴う動力増大に備え,14,000kWの新鋭プラントが立坑完成に先立って昭和34年稼働を開始
<三菱鉱業セメント(株)総務部社史編纂室、『三菱鉱業社史』、三菱鉱業セメント(株)、昭和51年、779頁」>より
昭和35年2月21日、二子新発電所の14,000kwプラント運転開始
<三菱鉱業セメント株式会社高島炭砿史編纂委員会編集「高島炭砿史」三菱鉱業セメント株式会社(1989)p.526>より
昭和43年6月7日、二子発電所の12,000kw発電プラント運転開始
<三菱鉱業セメント株式会社高島炭砿史編纂委員会編集「高島炭砿史」三菱鉱業セメント株式会社(1989)p.528>より
崎戸の閉山により崎戸発電所の主要機器の移設を受けて,従来の設備のほかに12,000kWの増設を行い,その他予備として7千kWの旧設備を有して炭砿における大発電所に拡大し,電力不足の際は電力会社への逆送電をも行うことがあった。
<三菱鉱業セメント(株)総務部社史編纂室「三菱鉱業社史」三菱鉱業セメント(株)(昭和51年)p.779・780>より
昭和57年4月9日、二子発電所、15,500kwタービン発電機運転開始
<三菱鉱業セメント株式会社高島炭砿史編纂委員会編集「高島炭砿史」三菱鉱業セメント株式会社(1989)p.529>より


〔 戦災等復旧 〕

  • 20年7月31日午前11時50分ごろ,米軍機の空襲により,高島二子坑外施設に被害を受け,死者17人を含む死傷者は55人を数えた。
  • 発電所も被災して発電は停止し,操業はもちろん,排水も不能に陥った。
  • 8月19日に旧発電所のボイラー2台と3,000kW発電機1台が運転可能となり,電灯および一部機械を運転,二子坑は8月26日,端島坑は8月25日より排水を開始し,辛じて水没を免れた。しかし, 高島新坑 はこのとき水没し,遂に廃止された。
  • 9月4,5日にわたる豪雨で発電所が再び発電停止となった
  • 同年10月には旧発電所のもう1台の3,000kW発電機も復旧,3,000kW2台の並列運転となり,新発電所7,000kW発電機も配電盤他の復旧を待って,12月から運転が再開された。
  • 以上、<三菱鉱業セメント(株)高島炭砿史編纂委員会、『高島炭砿史』、三菱鉱業セメント(株)、1989年、311・312頁>より
    ※管理人記載 9月4,5日にわたる豪雨で発電所が再び発電停止となった際には、端島の二坑底ポンプ座が水没の危機にさらされますが、その時の状況については こちら をご覧ください。


〔 交流60Hz化 〕

  • 高島炭坑の自家発電の交流化に際して,最初の設備は,西日本に位置することから60Hzが採用された。ところが,当時の九州は必ずしも60Hz地域ではなく、同業の各炭坑は50Hzが多かったので,増設に際しては,50Hzに変更された。
  • 大正6年10月交流第2期増設の50Hz,800kW発電開始後は,60Hzから50Hzへの切替えが終了する大正8年6月までは,50Hz,60Hzが混在した。
  • しかし,これは後になって重要な欠陥をもたらすことになった。すなわち,太平洋戦争後,電源の安定確保のために連繫した九州電力が60Hzに統一した時,高島は50Hzで規模も大きく,簡単に60Hzに統合できず,サイクル変更(昭和34年)までの10余年間にわたり周波数変換機を使用するという,運営上の非効率と複雑・不便さを忍ぶこととなったからである。
  • 以上、<三菱鉱業セメント(株)高島炭砿史編纂委員会、『高島炭砿史』、三菱鉱業セメント(株)、1989年、281・282頁>より
  • 昭和20年終戦時まで独立した発電所として運転してきた二子発電所は50Hzを採用していた。終戦直前の空襲被害により停電して,高島・端島両砿とも水没の危機に曝されたので,電源の安定と信頼性を高めるため,昭和23年2月から九州電力よりの受電と連繫するようになった。
  • 以上、<三菱鉱業セメント(株)高島炭砿史編纂委員会、『高島炭砿史』、三菱鉱業セメント(株)、1989年、355頁>より
  • 昭和23年1月20日 岳路~二子間の受電設備竣工(2月24日より受電・自家発並列運転)
  • 以上、<三菱鉱業セメント(株)高島炭砿史編纂委員会、『高島炭砿史』、三菱鉱業セメント(株)、1989年、524頁>より
  • 昭和34年10月 二子発電所の7,000kw発電設備を60Hzに改造完成により,サイクル変更(50→60Hz)完了
  • 以上、<三菱鉱業セメント(株)高島炭砿史編纂委員会、『高島炭砿史』、三菱鉱業セメント(株)、1989年、526頁>より


端島の「電力事情」については こちら をご覧ください。


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