○参 考 書 籍 等

*本HPの写真・図版等の転載・転用等を固く禁止します。

 官公庁発行誌
名   称   等年代内  容
昭和二十三年十一月七日
現勢要覧(西彼杵郡高島町)
S23.11.07グラバー別邸の解体時期や付属図面の二子付近には積込桟橋とは別の桟橋の記載があります。
町村を廃し町を設置することについての申請書S30.2.10西彼杵郡高島町と高浜村による申請書です。
町制施行10周年記念 高島町十年の歩み〔高島町〕S33.11.08当時運行していた「つや丸」や工事中の高島・二子新堅坑の姿があります。
昭和48年たかしま〔高島町〕S48.4町勢要覧
高島町 昭和五十一年版町勢要覧〔高島町〕S51.3町勢要覧
高島町政三十年の歩み〔高島町〕S53.10.25町制施行30周年記念史
高島町文化史〔高島町〕H07.03.31この本の初版は昭和24年です。
高島半世紀の記憶〔高島町〕H11.3高島町町制施行50周年記念誌
高島町の歴史年表〔高島町〕H15.3.31 
端島(軍艦島)〔高島町〕H16.1.15閉山30年の写真集
高島町の足跡〔高島町〕H16.12高島町が平成17年1月4日に編入合併される前に、発行された本です。
香焼町郷土誌H3.10.1町制施行30周年記念事業
三和町郷土誌S61.01.吉日町制施行三十周年記念事業
高濱村郷土誌昭和初期? 
野母崎町郷土誌S61.3.31

 新 聞 等
名   称   等年代内  容
「高島炭礦の沿革及現状(下)」 毎日新聞 明治31年1月8日に掲載
「聞き書き軍艦島」 朝日新聞長崎版? 1973年10月23日~10月30日に連載
「さらば軍艦島」 朝日新聞長崎版 1974年2月12日~2月17日に連載

 一 般 誌
名   称   等年代内  容
三菱社誌〔東京大学出版会〕 三菱全体の社史です。その中に、端島、高島、横島の記載もありました。
長崎縣紀要〔第二回關西九州府縣聯合水産共進會長崎縣協賛會〕1907.10製鹽事業(129頁開始)の項や鑛業(132頁開始)の項などにて高島端島が登場します。また、巻末には企業広告が多数掲載されていて「長崎野母線」の汽船航路案内もあります。
長崎縣千名鑑〔九州日の出新聞社〕1912.10.23端島・高島・香焼・松島の写真も掲載されています。
高島礦業所概要1926.10礦業所のみならず、病院・幼稚園・娯楽慰安に関する情報も出ています。
日本地理風俗大系13巻1930.01.18第12巻は九州地方(上)として、第13巻が九州地方(下)として九州の情報が紹介されていますが、第13巻では端島の写真2枚が掲載されています。
日本地理大系第9巻1930.08.08第9巻は九州編として、端島の写真1枚を掲載しています。
婦人之友1936.10.01軍艦島実測調査資料集でも引用されている本です。端島の写真も掲載されています。
寫眞週報1941.07.23端島や高島の写真も掲載されています。
寫眞週報〔印刷局〕1944.01.26表紙には「石炭確保へ總突擊」の記載があり、終戦間際における石炭確保についての記載があります。
アサヒグラフ〔朝日新聞社・8月25日号〕1948.08.25『海上のビル街 軍艦島』と題した記事が4ページに渡り11枚の写真と共に掲載されています。
中学三年の学習〔学習研究社〕1949.10鳥瞰図や炭坑の中のイラストが掲載されています。
新住宅〔新住宅社・昭和25年下卷合本〕1950「三菱・端島坑アパート(長崎縣)」と題された65号棟の紹介記事が5枚の写真や平面図等と共に掲載されています。
国際文化画報〔国際文化情報社・四月号〕1951.04.01「世界一の人口密度 緑なき島(端島)」と題された記事が8枚の写真と共に掲載されています。
岩波写眞文庫 49 石炭〔岩波書店〕1951.11.25豊富な写真とイラストにより説明がなされていて、端島の写真も掲載されています。なお、2007年には復刻版も出ているようです。
石炭の事典〔石炭経済研究所〕1954監修者は「通商産業大臣官房調査統計部石炭統計課」で、「石炭用語の解説」の項は私にとって非常に貴重な情報源となっています。
家の光(家の光協会〕1954.07写真5枚を用いて、当時の端島のことが紹介されています。
アサヒグラフ〔朝日新聞社〕1955.12.0732・33頁に「空気の防波堤」と題された記事が5枚の写真と共に掲載されていて、拙HPにおいても 引用や出典 をさせていただいてます。
長崎グラフ〔NO.2〕1956.03.01「綠なき島」と題された記事が4枚の写真と共に掲載され、他に、第八平戸口丸と初代せい丸と思しき船舶各1枚の写真も掲載されています。また、野母商船の広告2件があって、1件には博多航路(博多-呼子-平戸-生月-宇久島-小値賀-青方-若松-福江)と平戸口運輸KK(平戸-平戸口(約十分) 毎日往復 三十四回)が書かれていて、もう1件には野母航路(快速)(長崎-土井首-深堀-香燒-高島-端島-野母)が書かれています。
主婦の友1956.03.01島のサークル、昭和館、空気防波堤、保育園及び坑内の様子等が紹介されています。
社会大観〔世界文化社・第4号〕1956.08.20第4号は「九州特集1」となっていて、各地の炭坑が紹介されていますが、端島の記事は4頁に渡って8枚の写真・1枚の建物等配置図と共に掲載されています。また、長崎県崎戸島の機械製塩に関する記事には、7枚の写真と1枚の製造工程表も掲載されています。
アサヒグラフ〔朝日新聞社〕1957.04.1430頁のグラフ地方版には 昭和32年4月1日に発生した小中学校・病院等火災 について、「軍艦島の火事(長崎県)」と題された記事が1枚の写真と共に掲載されています。
朝日新聞 報道写真傑作集 1957年版1957.05.25昭和31年8月17日の台風被害写真1枚が「台風で荒らされた軍艦島」と題され掲載されています。
アサヒグラフ〔朝日新聞社〕1957.09.22「日本一高い小学校」と題された記事が掲載されていていますが、記事には「昭和32年4月1日の火災被害後の対応」についての記載もあります。
こども家の光(家の光ふろく)〔家の光協会〕1958.01.01「日本一高い小学校」と題された記事が掲載されています。
国際文化画報〔国際文化情報社・十月号〕1959.10.01端島の記事が5枚の写真と共に掲載されています。ちなみに、日給屋上の写真を見ると、既にアンテナが林立しています。
カメラ芸術〔東京中日新聞 1962年2月号〕1962.02.017頁に渡って「軍艦島」と題された記事が写真6枚と共に掲載されています。なお、2頁に渡った1枚ものの大きな写真に写る端島神社には 砲弾と思しき構造物 が横たわり 慰霊碑がない ように思われ、また、19,20号棟間の中庭中空が写っている写真では 両棟を結ぶ飛梁が1本 となっているなど、非常に興味深いものがあります。
週刊朝日〔朝日新聞社、通巻2236号〕1962.04.27島全体の航空カラー写真で、工事中の三代目ドルフィン桟橋、先代の体育館、学校海岸沖の野母船等が写っています。
毎日グラフ〔毎日新聞社、通巻784号〕1965.03.21家賃、住民区分、学校教材として3台の自転車、島全体の航空写真等が掲載されています。
高島炭田三ツ瀬および端島沖海域の探査1967三ツ瀬および端島沖区域の開発について非常に詳しい報告書です。
筑豊石炭礦業史年表〔田川郷土研究会〕1973高島や端島についても記載があります。また、典拠資料の記載内容は大変参考になるかと思います。
"はしま"閉山記念特集号1974記念アルバム"はしま"編集委員会
週刊朝日〔朝日新聞社、通巻2885号〕1974.02.01閉山式と閉山式のあとに子どもたちを集め開かれたサヨナラパーティーなどについての写真掲載と説明があります。
週刊ポスト〔小学館〕1974.02.013頁に渡って、閉山直後の端島が紹介されています。
サンデー毎日〔毎日新聞社、通巻2893号〕1974.02.03閉山式等の写真、家賃や給与の額、島を離れるにあたり苦悩する鉱員の「つぶやき」等が掲載されています。
三菱鉱業社史〔三菱鉱業セメント(株)〕1976三菱鉱業についての社史です。
三菱高島炭砿労働組合 三十年史1977高島の社宅図や古写真等貴重な資料が掲載されています。
船の雑誌第7号〔柳原良平〕1978.10.30つや丸、せい丸、第八平戸口丸、あさかぜ等の写真有
三菱髙島砿業所 百年のあゆみ
 〔三菱石炭鉱業株式会社 高島砿業所〕
1981.04高島炭砿概史・技術史概要が掲載されています。また、巻尾の各種イラストの中にある「選炭系統図」は当時の高島砿業所の選炭関係設備を知る上で大変参考になっています。
軍艦島実測調査資料集〔東京電機大学〕1984バイブルでございます。
HUMAN LAND 人間の土地〔奈良原 一高、リブロポート〕1987.04.011954-1957にかけての写真とのことですが、雪景色の写真も何点か掲載されていて、貯炭場の写真の1枚には雪化粧した石炭の山と帽子をかぶった雪だるまが写っています。
高島労組解散記念誌 五平太の島
 た  か  し  ま
1987.07.01四十一年の歴史を有する労働組合の解散記念誌です。数多くの写真や図面などが掲載されています。
地底の炎は消えた1988三菱高島炭礦閉山記録と書かれています。
高島炭砿史〔三菱鉱業セメント(株)〕1989.01.31高島炭坑の歴史本、勿論、端島の事も記載されています。
日本客船総覧〔森田裕一〕1989.02日本各地の客船が紹介されています。
炭坑誌-長崎県石炭史年表〔前川雅夫 編著・葦書房〕1990長崎県の炭坑の歴史が詳しく記載されております。
八十年のあゆみ〔九州商船(株)〕1991.12会社のあゆみや航路の変遷、所有船舶の変遷などが掲載されていて、その昔、端嶋に寄港していた 長崎野母線や長崎嶋原三角線 の航路情報もあります。
崩れゆく記憶 端島炭鉱閉山18年目の記録〔柿田清英〕1993.10.25崩壊した学校海岸には感嘆
軍艦島 海上産業都市に住む
 〔写真伊藤千行、文章阿久井喜孝〕
1995.02.24伊藤千行さん撮影の写真が数多く掲載され、写真の説明も詳しく書かれています。
図説 長崎県の歴史〔河出書房新社〕1996.10.15 
軍艦島 失われた時を求めて・・・・・。〔坂本 道徳〕2003.03.09軍艦島を世界遺産にする会発行
巨幹残栄 忘れられた日本の廃鉱〔萩原 義弘〕2003.11日本各地の廃鉱の姿が出てきますが、栄枯盛衰を感じます。
軍艦島〔坂本 道徳〕2004.08.01軍艦島を世界遺産に!
忘れ得ぬ其日〔『石炭研究資料叢書』(九州大学 記録資料館 産業経済資料部門)、第27輯〕2006.3大正8年から満3ケ年間、高島にて生活された著者のご経験が掲載されています。
1972 青春 軍艦島〔大橋 弘〕2006.07.10著者が端島で働いていた時の写真集です。
あの頃の軍艦島〔皆川隆〕2013.03.21昭和30年代の撮影になるのでしょうか?。20号棟と21号棟の間に公園が写っている写真もあります。
軍艦島の生活<1952/1970>住宅学者西山夘三の端島住宅調査レポート2015島に人が住んでいた頃の写真や各種情報がたくさん掲載されています。
REMEMBER TAKASHIMA 炭鉱遺産・高島閉山の記録〔写真:鵜沼 亨、編集:NPO法人・長崎iA3、忘洋社〕2015炭鉱区域のみならず、生活区域の写真もあり、また、多くの人々も写っています。高島炭鉱に関係された方には非常に貴重な記録集になるのではないでしょうか?。
私の軍艦島記〔加地 英夫〕2015.12.01タイトルは「端島に生まれ育ち閉山まで働いた記録」です。端島を再発見できる本と思います。
燃ゆる孤島 軍艦島22年間の思い出〔内田好之〕2016.03.01戦時中に30号棟屋上に設けられた速射砲のことや原爆時の島の様子など、たくさんの事柄が非常に詳しく書かれています。
創業100周年記念誌〔野母商船(株)〕2016.11野母商船百年のあゆみ、歴代所有船の写真並びに情報などが掲載されていて、その昔、端島に寄港していた頃の各種情報もあります。

 

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