2023年(その2)

*本HPの写真・図版等の転載・転用等を固く禁止します。

〔 2023年6月撮影 〕

写真 前回は波高が高いため上陸ができずに周遊で終わっていましたが、今回は波高もそれ程なく、どうにか上陸ができました。先ずは端島神社のお姿からです。


写真 野母崎側から見る神殿部分の拡大写真です。ずいぶん前からありましたが、基礎柱の損傷が気になっています。そのため端島を見るときは、いつ知れずか、先ずは神社のお姿を確認するようになりました。

写真 外海側から見る神殿部分の拡大写真です。ちなみに、神社の下に見える建物は 56号棟 です。

写真
↑ 基礎柱の損傷が気になる箇所は複数ありますが、その内の一箇所の写真です。


写真 2号棟ですが、緑で覆い尽くされています。


写真 3号棟に山道


写真 貯炭場に学校方向の光景です。

写真 学校校舎部分の拡大です。7階部分の倒壊は進んで、建物左側には白色?の塗装が残っていますが、建物右側の塗装はかなり剥がれてきています。ちなみに、2009年撮影の光景は こちら です。


写真 写真左側には小屋のような構造物が残っていますが、ドルフィン桟橋と島を結んでいた渡り桟橋を上下させていたワイヤー巻上機が入っていた建物ではないかと思いますが如何でしょうか?。ちなみに、建物の下の部分が30号棟までつながるトンネルの開始地点になります。

写真 写真左端から右端にかけて、石積が長く残っていますが、奥の石積の先が海底水道取込口の場所になります。


写真 二坑口桟橋に上り下りする階段通路にもパイプの補強が入っていますが、閉山の頃の光景は こちら の写真をご覧ください。なお、今更ながら気づきましたが、 こちら の写真では既に閉山の頃には補強が入っているように思えますが如何でしょうか?。


写真 手前のレンガ造りの建物は、第三竪坑櫓が存在した時の捲座上屋だった建物です。今では壁四面の内、30号棟側のみの壁面しか残っていません。なお、その壁の手前にある床面の手前には石積らしき物が見えていますが、 高島の蛎瀬坑開発時の写真 を見ますと、捲座が載る部分の基礎は石積のように思われますので、もしかしたら第三竪坑捲座上屋が載る部分も同様の構造ではなかったかと想像しています。

写真 少し横に移動して、昔、捲座上屋だった建物方向の光景ですが、捲座上屋やその後ろに建っている総合事務所の補強状況がよく分かります。


写真 写真左側には総合事務所2階に上がる階段が見えていますが、昔の光景は こちら の写真に写る階段ではないかと思いますが如何でしょうか?。


写真 二坑口桟橋部分から、風呂場、倉庫、事務所にかけての撮影です。


写真 右側の事務所からは渡廊下が延びていて、左側の建物とつながっていて、左側部分が鍛冶工場となるようです。ちなみに、当該箇所の閉山の頃は こちらの 光景になるのではないかと思います。


写真
 鍛冶工場の手前にはコンクリート護岸がありますが、護岸の手前部分は「閉山の頃に坑木置場だった部分」になるかと思います。

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 コンクリート護岸の下には石積護岸が見えていますが、あまり風化してないように思えます。波風にあまり晒されていないのでしょうか?。


写真
 右側の建物が鍛冶工場で、左側に30号棟と第二坑捲座上屋です。今回の30号棟を撮影した写真は こちら もご覧ください。

写真 左の写真から30号棟部分を拡大しました。


写真
 右から鍛冶工場、第二坑捲座上屋、30号棟です。ちなみに、閉山の頃は こちら の光景だったようです。

写真 30号棟部分の拡大です。


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 30号棟南側海上からの撮影です。

写真 6階部分の拡大です。住居部分の先には階段の手摺りらしき物が見えているようです。


写真 海底水道取込口の南側に位置する堤防上部の摩耗と、下部の石積護岸の一部崩落も気になります。


写真 防波堤の部分の拡大です。ちなみに、右端の先に見えているのがドルフィン桟橋です。


写真
 写真右端に少し見えているのが防波堤です。写真の中央部分には瀬が見えていますが、上の写真でいえば防波堤の手前にある瀬の光景で、思い出深き場所である方も多いのではないでしょうか?。なお、私には奥のコンクリート護岸にある(おそらくは左側の)排水口も思い出深き場所になります。

写真 左の写真から角度を変えての撮影です。瀬の奥の方、閉山の頃でいえば坑木置場だった場所の護岸になりますが、護岸と海面の境目付近には石積護岸が見えているようです。ここも思い出深き場所です。


写真 2023年6月における南側から見る端島の光景です。


写真 島の外海側で、こちらも、もろに荒波を受ける箇所です。


写真 護岸の上部が補修されていることから、 公民館から昭和館にかけての光景 かと思います。瀬の上に石積が設けられていますが、満潮時には石積のある程度の部分は海面下に隠れるものと思っています。明治時代の海面埋立方法については こちら に記載させていただいてますが、できれば実際の工事の様子を見てみたかったものです。


写真 67号棟から59号棟にかけての光景です。


写真
 啓明寮ぐらいの場所でしょうか?。護岸にはひびが入って、ひびの下の箇所には大きな穴が開いています。

写真
 大きな穴の箇所の拡大写真ですが、穴の先に穴があるように思えます。


写真 閉山の頃には、護岸のカーブ付近にもテトラポットが設置されていましたが、今では テトラポットの姿 は見えません。


写真 ちどり荘とテトラポットの光景です。こちらのテトラポットは数は少なくなりましたが、設置後50年以上経過しても姿を残しています。


写真 ドルフィン桟橋近くの光景ですが、海面下の様子もうかがえます。


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