○2024年(その1)

*本HPの写真・図版等の転載・転用等を固く禁止します。

〔 2024年1月撮影 〕

写真 閉山50周年となる2024年1月の端島全景です。


写真 閉山50周年となる2024年1月の端島神社神殿の光景です。端島を見る際に直ぐに確認するのは神殿の状況ですが、今回も神殿のお姿を確認できて一安心です。しかし、かなり痛みが進んでいますね。特に建物の支柱の状況が心配です。

写真 閉山時に39号棟(公民館)があった付近の光景です。2020年9月に台風にて 護岸が一部崩落 し、その後、 復旧 された箇所の護岸が真新しく、白色に見えています。また、 23号棟(泉福寺) の箇所ですが、お地蔵様のお姿もうかがえます。


写真 65号棟の南面に端島神社神殿の影が写っています。


写真 小中学校校舎7階の校舎部分は崩れてしまっていますが、左右の塔屋部分は大丈夫なようです。なお、校舎の外壁塗装ですが、左側部分には白色の塗装がかなり残っていますが、右側部分ではほんど残っていないようです。ちなみに、校舎のグランド側においても 窓ガラスの割れ具合や塗装の状況 に特徴があるように思っています。

写真 65号棟と小中学校校舎の光景です。写真右上には白い滑り台が見えていますが、遊んだ方も多いのではないでしょうか。
 また、65号棟屋上の手摺りが一部切れていますが、もしかしたら、小中学校校舎と65号棟を結んでいた避難通路の跡でしょうか。


写真 遠くに端島小中学校学校校舎が見えています。

写真 学校や資材倉庫の手前にある支柱は 貯炭場 にあった 配炭桟橋の支柱 です。


写真 本当に青空が綺麗かったです。65号棟から貯水タンクにかけての光景です。

写真 3号棟のアップで、左端に写っているのは、山道と6号棟方面を結ぶ通路です。


写真 その昔、第二竪坑櫓があった場所周辺の光景です。右側には30号棟が見え、中央から左側にかけて大きなコンクリート構造物が見えています。第二竪坑櫓があった場所ですが、大きなコンクリート構造物の右側だったのではないかと思いますがいかがでしょうか?。

写真 写真中央部に大きなコンクリート構造物がありますが、炭坑稼業時はその上に 二坑口桟橋 が載っていたようで、島の先輩による 二坑口桟橋の説明 を拝見しますと、大きなコンクリート構造物は原炭ポケットだったのではないかと思いますがいかがでしょうか?。


写真
 二坑口桟橋周辺の光景です。階段がある構造物の奥に第二竪坑櫓はあったようです。



写真 赤い煉瓦の建物で、四面の外壁の内、30号棟側の外壁のみ残る旧第三竪坑捲座と、そのバックの総合事務所の光景ですが、ほとんどが崩壊してる状態です。ちなみに、旧第三竪坑捲座の床の部分を注視しますと、旧第三竪坑捲座の建物は石積の上に載っているように思われます。

写真 総合事務所のバックに写る30号棟ですが、内装は朽ちてしまっているようです。


写真 25号棟、30号棟、31号棟に第二竪坑捲座の現在の姿です。30号棟の状況については こちら もご覧ください。


〔 2024年6月撮影 〕

写真 島北側の全景です。


写真 小中学校校舎はかなり傷んでいて、特に7階部分は潰れてしまっています。また、校舎の先に見える神社の神殿もかなり痛んではいますが、どうにかお姿を保っています。

写真 65号棟、本当に大きいですね。


写真 島の西側です。


写真 65号棟から日給にかけての光景ですが、日給の上には神殿が見えています。


写真 日給と51号棟間の渡廊下部分です。日給5階から51号棟に延びる渡廊下ですが、以前から、日給側の接合部分が落ちかけているようです。

写真 中段の渡廊下が日給5階から51号棟に延びる渡廊下になります。落ちかけている分、上段の渡廊下とは間隔が広く、下段の渡廊下とは間隔が狭くなっています。


写真 2号棟や3号棟の壁面ですが、かなりの部分が「蔦」?に覆われているようです。

写真 泉福寺があった付近です。お地蔵様のお姿も確認できます。


写真 護岸の状態が気になる箇所があり、以下に記載させていただきます。左写真の護岸は31号棟前の護岸になりますが、黄色い矢印の先には「オレンジ色?」の部分が見えていて、「オレンジ色?」の部分を中心に拡大したのが下段の写真です。

写真 こちらの写真と 2020年9月の台風時に一部崩壊した護岸の写真 とを見比べますと、「オレンジ色?」の部分は石積護岸の表面あった石が剥がれ落ちて、石積護岸の内部が露出した光景のように思いますがいかがでしょうか?。

↓比較写真<2024年1月撮影>
写真
 左写真は、上段左側写真とほぼ同じ範囲を2024年1月に撮影した写真です。

写真 左側写真から、上段右側写真とほぼ同じ部分を拡大し、護岸や自然石の形を参考として、上段右側写真の矢印と同じ位置と思われる地点に黄色い矢印を付してみました。
 あくまでも私見ですが、矢印の先は石積護岸ではなくコンクリート護岸の場所と思われ、上段右側写真は2024年1月時にはあったコンクリート護岸の部分崩落に加えて、コンクリート護岸に隠れていた石積護岸の表面にあった石も剥がれ落ちて、今回の状況となったように思います。


↓比較写真<2013年1月撮影>
写真 <2024年6月撮影>や比較写真<2024年1月撮影>写真と概ね同じ場所の写真になります。こちらの写真では、赤色の矢印の先に僅かに石積護岸が見えるだけで、他はコンクリート護岸しか見えないようです。ついては、現在見えている石積護岸の大部分ですが、以前はコンクリート護岸に覆われていたように思います。

↓比較写真<2005年5月撮影>
写真 31号棟付近の護岸全体の光景です。ちなみに、護岸の左端部分が真新しくなっていますが、1991(平成3)年の台風により崩壊した護岸 の復旧箇所と思います。



写真 30号棟も頑張っています。


写真 コンクリートや赤煉瓦の構造物群です。


写真 写真中央の総合事務所だった建物の1階と2階部分にも鉄パイプが設置され補強がなされていました。 今年の1月撮影時 には鉄パイプの姿はありませんでしたので2024年前半の実施となるようです。


写真 プールがあった付近からの撮影で、写真右上には31号棟の姿が見えています。昔の石積護岸を覆っていたコンクリート護岸の根元部分が崩壊?して、崩壊部分から昔の石積護岸が姿を現しています。ちなみに、 2012年に撮影した同じ箇所 の下段写真と比較しますと、コンクリート護岸根元の崩壊箇所は下部の方に広がっているように思えます。

↓比較写真<2012年撮影>
写真



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