○24号棟
概要 : 昭和24(1949) 木造3階
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〔 最 終 〕
<撮影予想時期:昭和24年から出典誌発行の昭和26年4月迄の間><出典:国際文化画報(昭和26年4月発行)> 閉山時にあった31号棟が建つ前の光景です。日給の右側に3階建ての24号棟が見えていますが、3階建ての24号棟が建設された昭和24年から出典誌発行の昭和26年4月迄の間の撮影となるようです。
また、25号棟の前にも大きな建物(2階?、3階?)が見え、日給の17号棟ぐらいの屋上部分にも大きな建物が見えていますが、両者の建物は下段の絵葉書では存在していませんので、新しい建物のようです。
なお、3階建ての24号棟は
昭和48年に焼失し、その後は、更地のままだったと記憶しています。
〔 先 代 〕
【 24号棟を望む光景今昔 】
《長崎港外端島ノ景》 <所有絵葉書> 日給右側の閉山間際に焼失した
24号棟(3階建て)があった場所の建物は2階建てのようです。島の先輩によりますと、24号棟の場所にあった昔の建物は2階建てで、その建物が火災焼失した跡地を遊園地として利用していた記憶があるが、後日、その場所に、3階建てを建てたのではないかとのことでした。
ちなみに、撮影時期としては、絵葉書の日給は18・19号棟が9階建てとなっていて6階建てから9階建てへの増築の時期は
昭和3年または昭和7年 であること。また、この絵葉書の表面には
「三菱端島坑 13 1 27」 のスタンプが押されていますので、この絵葉書の撮影は昭和10年前後ではないかと思っています。
<2013年撮影> <長崎市の特別の許可を得て撮影> 上段絵葉書の護岸付近にある木造建物は昭和31年の台風にて倒壊し跡地には31号棟が建設されますが、31号棟はあまりにも大きく、24号棟があった場所は見えなくなり25号棟も建物の上部が少ししか見えなくなっています。また、護岸は石垣からコンクリートへと替わっています。