○高島・中ノ島・横島
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開発者は違いますが、端島同様、下記の炭坑(島々)も三菱が継承します。しかし、各々の炭坑(島々)は、閉山後に違った道をたどる事になるようです。
<三菱の継承年月日は、『高島炭砿史』三菱鉱業セメント(株)(1989)より>
● 高 島 炭 坑
最初に開発され、最初に三菱へ継承(明治14年3月16日)にされます。そして最後まで採掘されました。閉山後は、炭鉱施設の殆どが取り壊され、僅かに北渓井坑跡等の施設が残されているだけです。
● 中 ノ 島 炭 坑
明治17年9月8日に三菱が継承します。そして明治26年に閉山しますが、現在でも、当時の炭坑施設と思われる煉瓦等構造物や立坑穴?が残っています。ただ、自然現象や経年による崩壊がかなり進んでいるようです。
不適切な言葉かと思いますが、人によっては端島以上に興味が湧く島と思います。
● 横 島 炭 坑
端島(明治23年8月11日継承)より遅く、明治27年6月5日に三菱に継承されます。閉山は明治35年1月ですが、香焼町郷土誌編纂委員会編集「香焼町郷土誌」香焼町(平成3年)」によりますと、「閉山後、島を支えていた石垣は取りはずされて、古老の話によれば、端島方面に運ばれたとのことである。このために埋め立てた土砂は残らず流失して岩礁と化す。」とあります。
また、平成15年3月31日発行「高島町の歴史年表」(高島町教育委員会)には、明治36年頃の出来事として、横島坑の社宅を仲山地区に職員社宅として5棟移築し、途中改修が行われ、閉山まで使用された旨の記載があります。
再利用された炭坑と言えますでしょうか。端島、高島にとって因縁が浅からぬ島のようです。