〔 規 模 〕
以上、<三菱鉱業セメント株式会社総務部社史編纂室編集、『三菱鉱業社史』、三菱鉱業セメント株式会社、昭和51年、p.712,713>より
<三菱鉱業セメント(株)高島炭砿史編纂委員会、『高島炭砿史』、三菱鉱業セメント(株)、1989年>では、第一立坑(193頁・深さ36m)、第二立坑(当初)(194頁・深さ162m)、第二立坑(掘下げ後)(294頁・深さ606m)、第三立坑(194頁・深さ198m)、第四立坑(272頁・深さ349m)の記載があります。
第三立坑よりかなり後に造られた、第四立坑の方が巻上機出力が小さいのには驚きです。なお、第二立坑の旧第二立坑追掘巻上機は、後日、変更となっており、「三菱鉱業株式会社高島礦業所概況案内(昭和40年4月)」では、「第二立坑に1.125kwイルグナー単胴巻、第四立坑に300kw単胴巻が設置されているが第四立坑巻は非常用であつて、第二立坑の巻で石炭、硬、材料、人員の運搬を行つている」との記載があります。
また、「三菱鉱業株式会社高島礦業所概況案内(昭和40年4月)」には、「第二立坑入気、第四立坑排気の中央式通気を行つている。当礦は稼行深度が深く、坑内温度は地熱の影響を受けて略深度に比例して上昇しているため、坑内冷却等により作業環境の改善が必要で現在払及び掘進切羽の一部に対し切羽冷却機を使用している。」の記載があります。
〔 立坑関係論文 〕
〔 明治中頃における竪坑口符号の変遷と坑口の数 〕
〇
明治中頃の図面を用いて竪坑口符号の変遷を記載いたします。なお、三菱が使用した竪坑は第一~四の4本がありましたが、三菱の端島取得前後にはそれ以外の竪坑も存在したようで、第一竪坑の周辺状況は以下のとおりとなるようです。
| 「凡例箇所の符号」 | 「図面記載の符号」 |
| 《鉱山ノ部 明治27年1月~2月》 <長崎歴史文化博物館収蔵> 「明治二十七年自一月至二月 第五課事務簿 鑛山之部」に収納されている「鑛區訂正願」(明治廿六年十二月十八日)の添付図面に記載の符号説明(凡例)箇所を拡大した図です。
竪坑口の符号は「口」の形をしていて、横坑口の符号もあります。
ちなみに、第一~四の内、第一竪坑しか存在しない時期(第二:明治28年、第三:明治29年、第四:大正14年に落成)の図面になります。 | 《鉱山ノ部 明治27年1月~2月》 <長崎歴史文化博物館収蔵> 第一竪坑周辺を拡大した図です。「口」の符号は3箇所に描かれてあり、私としては3箇所の内の中央の竪坑口が第一竪坑と思っていて、他の竪坑口については 第一竪坑の排気立坑 か 廃坑の竪坑口 ではないかと思っていますが如何でしょうか?。 |
| 《鉱山ノ部 明治30年5月~7月》 <長崎歴史文化博物館収蔵> 「明治三十年自五月至六月 第五課事務簿 鑛山之部」に収納されている「増區ニ係ル鑛區訂正願」(明治廿九年十二月廿四日)の添付図面に記載の符号説明(凡例)箇所を拡大した図です。
竪坑口の符号は、上段の図の「口」の形から、「日」の形に変更となっています。
また、こちらの図にも横坑口の符号があります。 | 《鉱山ノ部 明治30年5月~7月》 <長崎歴史文化博物館収蔵> 上段の図と同様に第一竪坑周辺を拡大した図です。「日」の符号は「基」の文字の上に1箇所だけ描かれてあり、私としてはそこが第一竪坑かと思っていますが、こちらの図では3箇所の内の両端の2箇所の竪坑口符号は「日」の符号とはならずに上段の図のままの「口」の符号となっています。 なお、こちらの図では、「日」の形に朱線が重なっていて「日」の形が分かりにくいですが、同じ図面に描かれている第二・第三及び中ノ島の竪坑口では、はっきりとその形が分かります。 |
〇
上記項目の補足説明資料になりえるかは分かりませんが、明治20年代後半の端島と
明治30年の横島における図面から、竪坑口の符号について比較したものを以下に記載します。
〇
明治26年12月付、明治28年10月付及び明治29年12月付の図面による「図面記載の竪坑口符号」の変化は以下のとおりとなるようですが、竪坑口符号の違いの理由については確認ができていません。なお、参考になるかどうかは不明ですが、横島炭坑でも
同じ図面にて「日」や「口」の符号が使い分けられています。
明治26年12月付図面 | ・・・ | 全ての竪坑口において「口」の形の符号を使用 |
明治28年10月付図面 | ・・・ | 第一竪坑口と思われる符号が「日」に変更となり、明治26年12月付図面では記載がなかった第二・三竪坑口にも「日」の形の符号が使用され、それ以外の竪坑口では明治26年12月付図面から変更はなく「口」の形の符号を使用 |
明治29年12月付図面 | ・・・ | 明治28年10月付図面から変更はなく、第一~三竪坑口と思われる符号が「日」で、それ以外の竪坑口では「口」の形の符号を使用 |
〇
第一立坑に排気立坑があったということは、第一立坑自体の通気機能は入気のみとなるようですが、第一立坑の図面には
矩形の断面を二分している立坑口が描かれている図面もあるようですので、もしかしたら、第一立坑の通気方法は途中で変更となっている可能性もあるかと思います。
〔 入気・排気・揚炭 〕
明治の頃 | 通気は,第一坑は排気立坑に設置のギーバル式扇風機によった。第二,第三立坑は蛎瀬立坑と同じく(というより蛎瀬立坑が端島にならったというべきだが)矩形の断面を二分して,入気と排気とに別け,ギーバル式扇風機で通気を行なったが,第二坑は明治45年5月から,ギーバル式扇風機に代えてキャペル式扇風機を設置した。 |
大正 2年 | 第三立坑を入気、第二立坑を排気にする通気変更
(それまで、第二立坑、第三立坑それぞれを二分し、入排気を立坑ごとに行っていた。) |
昭和 4年 | 第二堅坑を排気坑とし第三、第四、両堅坑を入気及び巻上堅坑 |
昭和 4年 9月頃 | 排気立坑となっていた第二立坑を入気とし、第三立坑を排気にする通気変更 |
昭和 7年 8月 | 第三立坑の揚炭中止 |
昭和10年 8月 | 排気立坑を第三立坑から、第四立坑へ |
昭和10年11月 | 傷みのひどい第三立坑の廃棄埋戻しに着手 |
昭和11年 9月 | 第二立坑による人員昇降,石炭巻上が開始 |
| 以上、<三菱鉱業セメント(株)高島炭砿史編纂委員会、『高島炭砿史』、三菱鉱業セメント(株)、1989年、208,268,293,294,496頁>より |
| 以上、<『三菱高島礦業所 端島坑概要 (昭和12年10月)』> における坑内作業の通気保全>より |
〇
年代・竪坑別用途一覧(上段記載の情報を基に、不足する項目は可能性等で判断し作成しました。間違の際はご容赦願います。)
区 分 | 第二堅坑 | 第三堅坑 | 第四堅坑 |
入気 | 排気 | 揚炭 | 入気 | 排気 | 揚炭 | 入気 | 排気 | 揚炭 |
大正2年以前 | ○ | ○ | ? | ○ | ○ | ? | - | - | - |
大正2年 | | 〇 | ? | ◎ | | ? | - | - | - |
昭和4年当初頃 | | ◎ | | ◎ | | ○ | ○ | | ◎ |
昭和4年9月頃 | ○ | | | | ○ | ○ | ? | | ? |
昭和7年8月 | | | | | ◎ | | ? | | ? |
昭和10年8月 | ○ | | | - | - | - | | ○ | ○ |
昭和11年9月 | ◎ | | ○ | - | - | - | | ◎ | |
- 表左端に記載の各時期において、第二~四竪坑がどの用途(入気・排気・揚炭)に使用されていたかを示す図になります。
- 実施されていたと思われる時期・竪坑用途の欄を「〇」と「◎」で示し、もしかしたら実施の可能性がある欄を「?」で示しました。
- ◎の箇所を選択してクリックしますと、選択した時期・竪坑用途の時と思われる竪坑写真へジャンプをしますが、以下の点についてご容赦願います。
- 写真の撮影年代については正確な撮影時期は分かってなく、あくまでも私の判断です。ついては、私の判断と実際の撮影時期が違っていて、ジャンプした先の写真にある竪坑の時期・用途と、目的とした時期・用途が相違する場合があります。
- 掲載できている写真が少ないため、ジャンプ先の写真の撮影時期と選択した時期とでは、年代的にかなりの相違がある場合もあります。
〇
入排気(通気)に関連する扇風機情報です。
設置年 | 炭砿名 | 型式 | 大きさ(m) | 風量(m3/min) |
明治21年 | 高島 | ギバール | (不詳) | 4,250 |
明治35年 | 高島 | チャンピオン | 1.8 | 1,420 |
明治45年 | 端島 | キャペル | (不詳) | 8,490 |
《表97 明治時代の社内炭砿における扇風機》
| <三菱鉱業セメント(株)総務部社史編纂室、『三菱鉱業社史』、三菱鉱業セメント(株)、昭和51年、745頁より抜粋> |
上の表では、端島においては、設置年は明治45年となっていますが、<高野江基太郎、『増訂再版日本炭礦誌』、明治44年、第二編93・94頁>には、通気法として「第二、第三両坑とも、各徑廿四呎幅八呎の「ギバル」式扇風機を装置し以て其通風を図る。通風全量一分時平均拾萬立方呎とす。」の記載があります。
また、後年の情報としては、<『三菱高島礦業所 端島坑概要』(昭和12年10月)> の坑内作業の通気保安の項には、「日立式300HP.ターボフアン(最大容量6,000立方米/分)を第四竪坑口に設置せり,現在風量毎分5,700立方米,負壓85m/m通気は對偶式にて主要入排気坑道は全部岩石中にとり掘進箇所に於ける局部通気法としては主として主要扇風機の負壓を利用せる風管通気を用ひ局部扇風機の使用は最小限度とせり,瓦斯発生量比較的少量なるも深部に進むに従ひ多少増加する傾向あるを以て炭層には採炭掘進共全く発破を使用せずピツクを専用す。」の記載や
炭砿名 | 型式 | 出力(kW) | 風量(m3/min) | 負圧(mm) | 等積孔(㎡) |
公称 | 実績 |
高島 | ターボ | 505 | 9,000 | 6,950 | 200 | 4.0 |
端島 | ターボ | 225 | 6,000 | 4,460 | 150 | 3.1 |
《表98 社内の主な炭砿における主要扇風機(昭和34年)》 | <三菱鉱業セメント(株)総務部社史編纂室、『三菱鉱業社史』、746頁より抜粋> |
の記載があります。ちなみに、
こちらの写真には第四竪坑近くにあった「排気塔」が写っています。